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横手の梵天 後編

Local Action
vol.037

posted:2014.4.1   from:秋田県横手市  genre:暮らしと移住

〈 この連載・企画は… 〉  ひとつのまちの、ささやかな動きかもしれないけれど、創造性や楽しさに富んだ、
注目したい試みがあります。コロカルが見つけた、新しいローカルアクションのかたち。

editor’s profile

Atsushi Okuyama

奥山淳志

おくやま・あつし●写真家 1972年大阪生まれ。 出版社に勤務後、東京より岩手に移住し、写真家として活動を開始。以後、雑誌媒体を中心に東北の風土や文化を発表。 撮影のほか執筆も積極的に手がけ、近年は祭りや年中行事からみる東北に暮らす人の「今」とそこに宿る「思考」の表現を写真と言葉で行っている。
また、写真展の場では、人間の生き方を表現するフォトドキュメンタリーの制作を続けている。
著書=「いわて旅街道」「とうほく旅街道」「手のひらの仕事」(岩手日報社)、「かなしみはちからに」(朝日新聞出版)ほか。
個展=「Country Songs 彼の生活」「明日をつくる人」(Nikonサロン)ほか。
http://atsushi-okuyama.com

credtir

取材協力:秋田県、横手市

いよいよ旭岡山神社へ

吐く息も荒々しくまちを抜けてきた梵天一行は、横手川に架かる橋を越えて、
いよいよ旭岡山神社が鎮座する山へとたどり着く。
ここで各町内が行うことは、「押し合い態勢」の準備だ。
仁王門と本殿で、町内対抗で激しい「押し合い態勢」が行われるため、
壊れやすい頭飾りを外して、身軽な梵天とするのだ。
男衆の怒声を聞きつけ、仁王門へと向かうとさっそく、
押し合いが始まっている。
梵天を入れようとする町内は仁王門手前で、梵天を槍のごとく横に構え、
入れまいとする町内は門内に陣取り、
互いに「ジョヤサー」の掛け声で自らを鼓舞している。
そして、怒号とともに揉み合う両者。
降りしきる雪をすべて溶かしてしまわんばかりの熱気で
仁王門の周囲は包まれる。
こうして、押し合いから抜け出した梵天がひとつ、またひとつと
頂上を目指していく。
頂上までの参道は、すべて雪に覆われており、
滑りやすいことのこの上ないのだが、
梵天を担ぐ者たちの足並みの速さは驚くほどだ。
まるで頂きの本殿に吸い寄せられるかのように、雪の参道を上り詰めていく。

横手川を渡って、いよいよ旭岡山神社への参道へと進んで行く。川の向こうはまさに彼岸。別世界へと入っていくようにも思える。

横手の街区を抜けると現れる横手川の橋。ここからが梵天行事のクライマックスだ。

仁王門の中で、ほかの町内の梵天を入れさせないために立ちはだかる男衆。

梵天を手に仁王門の中へと突っ込み、揉み合いが始まる。一気に盛り上がる瞬間だ。

これから始まる揉み合いが楽しみだと語る。男たちは一日限定の大暴れを楽しむのだ。

仁王門での揉み合いを終えた町内は、山頂に鎮座する本殿を目指し、参道を登って行く。

奉納の時を迎えて

杉の古木が立ち並ぶ参道は約650m。
その先に本殿が構える。
しかし、そう簡単に奉納できないのが横手の梵天。
本殿直下から本殿へは急勾配の長い石段が難所となって待ち構える。
この先、本殿では仁王門で行ったよりも激しい押し合いが行われるのだが、
この胸を突くほどの石段への挑戦も奉納行事のクライマックスのひとつだ。
梵天の重さは頭飾りを外したといっても約30kg。
これを両手で高く掲げながら、すべる石段をどう登るか。
腕自慢を中心にスクラムを組むようにして登って行く町内もあれば、
我こそはと言わんばかりにひとりで担ぎ上げる強者もいる。
町内の結束と梵天担ぎの腕力が試されるだけあって、
無事、梵天を担ぎ上げた先の石段の上では歓喜の声があがる。
皆で力を合わせ、ひとつのことに挑戦する。
そんな単純で当たり前のことにこそ、
本当に大切なものがあると思わせる場面だ。

そして、押し合い。神社本殿で迎え撃とうとする他の町内にめがけ、
槍のごとく構えた梵天とともに仲間たちと突っ込んで行く。
怒号と歓声、男たちの熱が高まり、ふっと途切れた瞬間、
梵天は本殿へと吸い込まれていく。
それは仲間たちとつくり、ここまで担ぎ上げてきた梵天が
無事、奉納できた瞬間でもある。

山の頂にある旭岡山神社の本殿。ここに梵天を奉納するためにはもう一度、激しい揉み合いをクリアする必要がある。

本殿で始まった揉み合い。迎え撃つ者、一気に押し込む者。両者ががっぷり四つに組み、はげしく揉み合いをする。

胸を突くほどの急勾配。本殿に向かって、最後の石段をかけあがる。ここが梵天担ぎの腕の見せ所でもある。

梵天の終わり

こうして、すべての梵天の奉納が終わると、
男たちは梵天とともに山道を下って行く。
登って行く際には血気盛んな形相を見せていた男たちだが、
下りでは口数も少なく足取りも重い。
山の頂きに情熱のすべてを置いてきてしまったような雰囲気ですらある。
誰かが、「横手人ってこんなもの。普段は無口で恥ずかしがり。
梵天の時が特別なのさ」とつぶやく。
そうは言っても、一年に一度の大切な行事をやり遂げた男衆の表情は、
やはり普段とは違う凛々しさを宿しているようにも見える。
山を降りると、町内の女性たちが温かいものをつくって待っていた。
下降祝と呼ばれるものでお酒とささやかなごちそうで
無事に奉納できたことを祝うのだという。
また、ここで梵天をばらし、鉢巻やさがりを神官宅に奉納し、籠は火で燃やす。
まるで、この日を存在しなかったことにするように、
梵天のすべてを消し去ってしまう行為には潔さ以上に寂しさを覚えるが、
これも長い歴史の中での習わしだそうだ。

奉納した梵天とともに山を降りて行く。祭りの余韻が山の静けさに溶け込んでいく。

山の下まで来ると、梵天はすぐに解体される。祭りの中心的存在だっただけに少し寂しい瞬間でもあった。

鉢巻や幕、制札などを神官宅に奉納する。

下降祝いで用意されていたうどんをすする。心まで温まる味わいに笑みがこぼれる。

梵天が行われる意味について

「梵天の日は荒れる」と、横手の人が言う通り、
今年の梵天奉納も始まりから終わりまで、始終雪が降り続け、
ときには吹雪模様となる梵天らしい一日となった。
個人的な話になるが、15年前に岩手に移住してから、
ここ7、8年は、ずっと北東北の祭りや年中行事をテーマに撮影を続けてきた。
東北の風土に興味があり、その延長として始まった祭りへの旅だが、
撮影を続けていくなかで、ずっと頭にあるのは、
今、この時代にこうした行為が「存在すること」の意味だ。
僕たちの先祖の時代、祭りはある意味必然から生まれたはずだった。
少し乱暴な言い方になるが人間は今よりもはるかに弱く、
自然はもっと強大だった。そのなかで人が生きていくために、
人はさまざまな工夫を凝らしてきた。
祭りや信仰は、いわば、こうした工夫が簡単には及ばない領域に関わるもので、
生きることへの切実なる祈りそのものだった。

例えば、各地で行われている「虫送り」を例にあげようか。
今のような科学の力がない時代、田畑を荒らす病害虫を防ぐために
人は祈りというかたちで回避しようとした。
その祈りのかたちが、「虫送り」となった。
今、虫送りをすることで
病害虫から田畑を守れるかもしれないと信じることができる人は
果たしてどれだけいるだろう。
梵天にしてもそうだ。梵天を神社に奉納することで、
家内安全、商売繁盛が成就するということを
心底信じられる人がどれほどいるだろうか。

今という時代はきっとそういう時代で、
そこに悲観や回帰行動を持ち込むものではないというのが、僕個人の意見だ。
なぜなら、祭りは必要とされることで初めて「在る」ことができるもので、
必要とされなくなるということは、
役割を終えたと考えるのが妥当だと思っているからだ。
つまり、今、この時代に祭りが在るということは、
遠い時代に生きた人たちの必然を共有しているのかもしれないし、
また一方では、今の時代を生きるための必然、
言い換えれば新たな価値のようなものを見出した結果ではないかと感じてきた。
そして、僕が心の底から見たい、感じたいと思っているのは、
自分と同じ今を生きる人たちが新たに見出した価値だ。
東北の田舎はある意味問題だらけだ。
人口、医療、農業、経済、教育。
おそらく日本という国が抱えるすべての問題をかなりの深刻さで抱えている。
正直なところ、にっちもさっちも行かないという土地もある。
それでも、人は、そこに暮らしている以上、
生きることへの工夫をやめるわけにはいかない。
そんななかで祭りに新たな価値を与え、
土地とそこに暮らす己や仲間に清々しい息を吹き込んでいく。
まるで現代の夢にも例えられるできごとなのかもしれないが、
東北のあちこちで祭りを見ていくなかで、
そういった力を生み出そうとしている祭りにも出会うことがあった。

では、横手の梵天とはどのようなものだろうか。
この一日があることで、そこに暮らす人に何をもたらし、何を生み出すのだろうか。
梵天を担ぎ、4km先にある旭岡山神社に奉納するためには、
最低でも7人程度の男衆が必要だと聞いた。
多くの町内は、20〜30名の男衆で組まれていたが、
なかには最小人数でヘトヘトになりながらも、必死で雪の参道を上り詰め、
皆で梵天を掲げようしにて石段を一歩一歩登り、本殿へと駆け込んだ町内もあった。
もしかしたら、そういった町内のなかには、
人出を確保するのが困難となり、
梵天を続けることが難しくなっている地域もあるかもしれない。
それでも、皆で力を合わせ、今年も梵天をあげる。
そこにはそれぞれが梵天を担ぎ上げるその意味を胸に刻み、
かつ、そこへの価値観の共有があるに違いない。
遠い時代、祭りとは、人間が大いなる物語に身を委ねる時間だった。
そこでは個の存在は消え、
神や仏といった大きな世界のなかに身を投じることができた。
そこではきっと、なぜ、祭りをやるかという理由は
まったく必要ではなかったはずだ。
ところが今の時代、大いなる物語は遥かに遠のいてしまった。
そうしたとき、祭りを続けるために必要なものとは
実はごくごく当たり前でパーソナルな思いではないだろうか。
たとえば、明日もこのまちや家族と一緒に暮らしていきたいと願うような。

梵天を担ぐ横手の男衆や彼らを支える人たちは何を思い、
旭岡山神社を目指すのだろうか。
いつか、ひとりひとりの胸の内を尋ねてみたい思いがした。
横手では、梵天を終えると高く積み上がった雪がゆるみ、
冬の曇り空に春の明るさが宿るそうだ。

横手川を渡る梵天。横手の自然の中での祭りの営みは、どこまでも美しい。

梵天を担ぐこと。そこには簡単に言葉では言えないものが隠されているのかもしれない。

横手では梵天が終わると、季節が長い冬から春へと歩み始めると言われている。

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