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連載

スノーピーク
Part1:海外で勝負する!
スノーピーク山井社長の決断。

貝印 × colocal
ものづくりビジネスの
未来モデルを訪ねて。
vol.019

posted:2013.9.17  from:新潟県三条市  genre:ものづくり

〈 この連載・企画は… 〉  「貝印 × colocal ものづくりビジネスの未来モデルを訪ねて。」は、
伊勢谷友介さんがパーソナリティをつとめ、谷崎テトラさんが構成作家をつとめる「KAI presents EARTH RADIO」と連携して、
日本国内、あるいはときに海外の、ものづくりに関わる未来型ビジネスモデルを展開する現場を訪ねていきます。

editor profile

Tomohiro Okusa

大草朋宏

おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。

photographer

Suzu(Fresco)

スズ

フォトグラファー/プロデューサー。2007年、サンフランシスコから東京に拠点を移す。写真、サウンド、グラフィック、と表現の場を選ばず、また国内外でプロジェクトごとにさまざまなチームを組むスタイルで、幅広く活動中。音楽アルバムの総合プロデュースや、Sony BRAVIAの新製品のビジュアルなどを手がけメディアも多岐に渡る。
http://fresco-style.com/blog/

ユーザーの声に応えるスノーピークのものづくり。

新潟県の燕三条駅から車で山へと向かう。
クネクネと細い山道を登っていくと、パッと見晴らしのいい土地に出た。
そこにコンクリートのモダンな建物がある。スノーピークの本社だ。
「こんなところに会社があるのかと思ったでしょ。
少し不安になってから来たほうが面白い」と笑って出迎えてくれたのは、
山井太(とおる)社長。なんと見渡す限りがほぼスノーピークのキャンプ場。
キャンプ場付きの本社なんてレベルではなく、
大きなキャンプ場のなかに本社屋があるかのようだ。

スノーピークは、現在の山井太社長の父親でもある先代の山井幸雄前社長が
1958年に創業したアウトドアメーカーだ。
先代は谷川岳の一ノ倉沢が大好きで、
社長室にはいまでも幸雄前社長が一ノ倉沢で撮ったという写真が飾ってある。

大きなガラス張りの社屋は、外を見渡すのに最適。デスクから顔を上げると、すぐ緑が目に入る環境だ。

本社を構える燕三条はものづくりのまちとして有名だ。
特に鍛冶屋が多く、伊勢神宮で使われる和釘は、いまでもすべて燕三条産だという。
そんなまちということもあって、幸雄前社長は、
自分が山登りに使う道具を、鍛冶屋にオーダーしてつくらせていたという。
スノーピークのアウトドア精神のルーツだ。

1964年から釣り具を始め、
88年からはキャンプグッズを手がけるようになる。
90年代前半まではオートキャンプブームで、
キャンプ人口は最大2000万人いたという。
しかし90年代中盤からブームは下火になり、
スノーピークも94年から99年まで、6年連続で売り上げを落としてしまった。

取材チームのテント村。テント、タープ、シュラフ、マットなどすべてレンタルできて、手ぶらOK。初心者でも安心だ。

「気がつくと、キャンプイベントがひとつもなくなっていました」
と山井社長がいうように、90年代後半、マーケットは完全に冷えきっていた。
そこで1998年に「Snow Peak Way」という、
いまでも続いているキャンプイベントを本栖湖で初開催する。参加人数は30人。
そこで行われた“たき火トーク”で、参加者全員に話を聞くことができた。
30人なら、全員と話せる。
そこででてきたのは、「スノーピークの商品は、質はいいけど高い」、
そして「直営店以外では扱っていない商品が多いので欲しい物が買えない」
という意見だった。
それまで問屋を介していたので、直接的にユーザーの話を聞く機会がなかった。
初めて突きつけられた現実だった。
「もちろん一番くやしいのは僕です。土曜日の夜に話をきいて、夜、眠れなくて。
翌日曜日に本栖湖から新潟まで車で帰る途中、
長野あたりで腹をくくりましたね。
ユーザーの意見を真正面から受け止めて、改善していこうと」

そして翌月曜日、朝礼で対策を発表した。それは、

・問屋との取引を廃止して直接の取引にする

・全国に2000店舗あった契約販売店を250店舗程度まで絞り込む

・その代わりに、その250店舗にはスノーピークの全商品を置いてもらう

というもの。
行動がとにかく早い。250店舗のリストもすぐに作成した。
社員は突然のことに大反対。しかしこれが功を奏して、
スノーピークは2000年から増益を続けた。

「私たちにとって、ユーザー以外の存在理由なんてありません。
そのひとたちが“高い、買えない”といっているので、
絶対に“安くなった、買えた”といってもらわないといけません」

経営危機を乗り切ったのは、ユーザーの真の意見を聞けたからであり、
ある意味では、メーカーにとってそれがすべてなのかもしれない。

もうひとつ、経営危機を乗り越えたものに、マイクロストーブがある。
売り上げが下がり始めたときに、
安価なラインをつくるか、国内のみならず海外のハイエンドマーケットに打ってでるか、
の二者択一をした。
後者を選んだスノーピークは、海外で勝負するには武器が必要だろうと考え、
マイクロストーブの開発に取りかかる。開発には時間がかかってしまったが、
海外に初めて持っていったときに、
「ミニチュアはいいから、本物を出せ」と言われたという。
「彼らには発想すらできないものだったんですね」と山井社長が言うように、
結果的に、この商品ひとつで、世界30か国にネットワークができた。
現在のスノーピークの海外売り上げ比率は35%。
この35%がなければ赤字であり、まさに会社を救う武器となった。

inter FM「KAI presents EARTH RADIO」の収録も兼ねて、伊勢谷友介さんも取材に参戦。山井社長と意気投合し、コラボが実現するかも!?

燕三条の鋳物によるダッチオーブンにルーツあり。

スノーピークのものづくりのルーツは、前述のとおり燕三条の鉄の鍛造業にあり、
いまでも同じ地区に本社を構えている。
燕三条にある他企業に発注している製品もたくさんある。
その象徴的なものが、「極薄鋳物製ダッチオーブン」だ。
燕三条の鋳物技術が実現に導いたダッチオーブンは、薄さわずか2.25mm。
通常のダッチオーブンが8mm程度の厚さがあることを考えれば、
かなりの薄さを実現している。

燕三条でダッチオーブンをつくるということは、必然だったのかもしれない。
三条市にある藤ノ木遺跡から出土したのは、まるでダッチオーブンのような鉄鍋。
それは600年前のもので、クオリティがとても高く、鉄も薄かった。
これを見たら、薄いダッチオーブンに挑戦せざるを得なくなったという。
山井社長の熱意と、鋳物職人のプライドが生み出した傑作といえるだろう。

「歴史や生産技術を含めて、
スノーピークが一番うまく燕三条というネームバリューを使える会社だと思います。
みんな技術は素晴らしいのですが、安く叩かれていたり、
いわゆる下請け仕事になってしまって、宝の持ち腐れになってしまう。
燕三条にはあまりブランドがないので、
おそらくスノーピークが、一番高く燕三条の技術を商品にして売っていると思います。
うちはストーリーのあるものづくりができて、グローバルに持っていけます」

燕三条発世界へ。スノーピークならば、価値づくりができて、
燕三条の地位を上げていくことができるだろう。
古くからのものづくりのまちでつくり続ける意味が、ここにある。

永久保証が付いているスノーピーク。製造上の欠陥が原因ならば、いつでも無償で修理してくれる。もちろん有償でもアフターサービスは万全の態勢。持ち込まれたテントはきちんと張ってみて、修理箇所以外もチェックする。

information

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snow peak Headquarters natural life store

住所:新潟県三条市中野原456
TEL:0256-41-2500
営業時間:9:00 〜 19:00
定休日:無休
http://www.snowpeak.co.jp/

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