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連載

岩手〈世嬉の一酒造〉
山あり谷ありの地ビールづくりに、
100周年目の新たなチャレンジ。

東北の田園 一関&平泉
これから始めるガイドブック
vol.008

posted:2017.11.15  from:岩手県一関市  genre:旅行 / 活性化と創生

PR 一関市

〈 この連載・企画は… 〉  岩手県南の岩手県一関市と平泉町は、豊かな田園のまち。
東北有数の穀倉地帯で、ユニークな「もち食」文化も根づいてきた。
そんなまちの新しいガイドブックとなるような、コンテンツづくりが始まった。

photographer profile

Kohei Shikama

志鎌康平

山形県生まれ。写真家小林紀晴氏のアシスタントを経て、山形へ帰郷。東京と山形に拠点を設けながら、日本全国の人、土地、食、文化を撮影することをライフワークとしています。山を駆け、湖でカヌーをし、4歳の娘と遊ぶのが楽しみ。山形ビエンナーレ公式フォトグラファー。
http://www.shikamakohei.com/

writer profile

Hiroko Mizuno

水野ひろ子

フリーライター。岩手県滝沢市在住。おもに地元・岩手の食や暮らし、人にまつわる取材や原稿執筆を行っている。また、「まちの編集室」メンバーとして、『てくり』および別冊の編集発行などに携わる。

日本酒はもちろん、数々の受賞歴をもつクラフトビールの醸造や
郷土料理レストランの運営など、
「酒」を軸に幅広い事業を手がける岩手県一関市の〈世嬉の一酒造〉。
2017年9月には、平泉町に
直営ビアカフェ〈The Brewers of Hiraizumi〉をオープンし、
来年2018年3月には本社敷地内にビール工場増設を予定している。

さらに今後は、酒蔵としての原点に立ち返るべく
日本酒の新しい蔵づくりにも動きだす。
常に進化&深化し続ける同社の思いを社長にうかがう。

創業は、倒産した老舗酒蔵を引き継いだこと

一関市のまちなかを流れる磐井川沿いに、〈世嬉の一酒造〉はある。
江戸期から受け継がれた古い蔵群を残す2000坪の敷地内には
郷土料理レストラン、ビール工場や博物館などが並び、
一関を訪れる観光客にとってのランドマークともいえる場所だ。

世嬉の一酒造の創業は、1918(大正7)年に遡る。
創業当時は、千厩町で代々続いてきた“横屋酒造”の名で呼ばれていた。
もともと江戸時代からこの地で酒蔵を営んだ〈熊文酒造〉が大正期に入って倒産し、
その経営を横屋酒造の次男・佐藤徳蔵氏(初代社長)が引き継いだのである。
ほどなく、現在の社名“世嬉の一酒造”に変更したが、
そこにはこんなエピソードがある。

「初代の頃に髭の宮様で知られる閑院宮載仁親王殿下が当蔵にお立ち寄りになって。
『世の人々が喜ぶ酒をつくりなさい』という言葉をいただき、
『世喜の一』というブランドのお酒をつくりました。
それを機に、初代が社名変更したんです」

そう教えてくれるのは、現在4代目を継ぐ佐藤 航(わたる)さんだ。

4代目を受け継ぐ代表取締役社長・佐藤航(わたる)さん。

しかし昭和後期、航さんの父・晄僖(こうき)さんが3代目を継ぐことになるも、
酒造業の経営は厳しかった。そんなときに
他企業からは、スーパーやホテルにしたいという話もあがったそうだが、
「貴重なこの蔵を残したい」という祖母の思いを受け、
晄僖さんは、千厩町で順調な経営をしていた
ふたつの自動車学校のうちひとつを売却して資金繰りをし、
世嬉の一酒造の経営を続けた。

蔵のひとつを〈cafe 徳蔵〉として活用中。アンティーク家具に囲まれ、居心地の良い空間。

「資金繰りは常に大変だったようです。もうひとつの自動車学校の利益で補てんし、
現金収入を得るために母がレストランを始め、酒を売るために売店をつくったり
親はいつも忙しく動き回っていました」と振り返る航さん。
中学生から高校生にかけて多忙な両親の姿を見ながらも
自身が酒蔵を継ぐことは想定しておらず、
「順調な自動車学校のほうを継ぐと思っていた」のだとか。

敷地内にある蔵元レストラン。一関の郷土料理が楽しめる。

いち早く、地ビールづくりに取り組むが……

1994年に酒税法が改正されると、ビール醸造免許取得の垣根が低くなり、
全国各地で地ビールづくりに取り組み始めた。
同社を中心にする地元企業もまちおこしの一環として、
1997年に〈いわて蔵ビール〉の販売をスタート。東北2番目の地ビールであり
各地から注目を集めたものの、なかなか軌道に乗らずに3年目で赤字に……。

高校卒業後に首都圏の大学へ進学したのち
船井総合研究所に就職した航さんが実家に戻ってきたのは
ちょうどその頃。30歳だったという。
ビール事業を辞める選択もあったが、辞めるにはお金もかかる。
航さんは大学時代に環境微生物を学んでおり、微生物の基礎知識があった。
そこで自身が工場長となり、たったひとりでビールづくりに再チャレンジし始めた。
「やり始めたらおもしろくて、おかげさまで順調に伸びていきました」と振り返る。

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赤字経営を、どうやって打開?

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時代は、すでに地ビールブームが去った頃だ。
果たして、どんなビールづくりをしたのか?

「世嬉の一の由来は世の人々がうれしくなる酒づくり。
ビールも同じです。ただ……、1種類のお酒でずっと満足していただくのは、
大手酒造メーカーの戦略。その中で僕らは
100人にひとりでも、地道にファンを育んでいかなきゃならない。
ならば、100種類のビールをつくろう! と思っていました」

自由なビールづくりから生まれたのは

航さんが取り組んだのは、暮らしのさまざまなシーンに合わせたビールづくり。
最初につくったのが、結婚式で喜ばれる青いビールだ。
ちょうど、宝石店で青い宝石が売れ始めた頃。〈サムシングブルー〉と名づけた。
その後も「ビールの概念」にとらわれず、いろんなビールづくりに挑戦していく。

めざすのは、自分たちが思いを込めてつくったビールに共感してもらうこと。

そんななか、航さんの気持ちの中に浮かんだのは

「日本のビールって何だろう、
酒屋がつくるビールって何だろう、岩手県でビールをつくる意味ってなんだろう」
という思いだった。

その意味を問いながら考え、生まれたのが
三陸産牡蠣を使った〈オイスタースタウト〉である。

「つまり僕らは、ビールを通してこの地域や岩手を紹介しているんですよね。
例えば、うちのビールをお土産にもらって飲んだ人が、
どこでつくったビールなんだろうと関心を持ってくれて、
岩手が自然豊かで食材に恵まれた土地だと知る。それがきっかけになって
じゃあ今度行ってみようか、そんな風に思えるビールをつくりたいんですよ」

右から、創業当時から作り続けるスタンダード4種のひとつ〈ヴァイツェン〉〈ヨイツギ〉〈山椒〉、お土産用につくった缶ビール2種。

それを機に、陸前高田市の米やリンゴを使ったり、
岩手の食材を使ったビールをいろいろつくってきた。
最近では、山椒を使ったビールが好評を博し海外でも売れており、
第2回「世界に伝えたい日本のクラフトビール」(2016)で
グランプリを受賞している。

工場長の後藤孝紀さんは、クラフトビール界では名を知られた人物。数々の賞も受賞している。

俳優の伊勢谷友介さんが代表を務める〈リバースプロジェクト〉で
つくるオーガニックビール〈ヨイツギ〉の醸造も同社が行っている。
そんなふうに、ビールづくりをグローバルに捉える一方で
個人が楽しむビールのあり方も大切にする。

「この間、工場長の後藤くんに子どもが生まれまして。
誕生を祝うビールをつくったら
地元の飲食店がおめでとう!って、仕入れてくれたんです」

そう話す航さんの微笑みにこそ、
世の人々がうれしくなる酒づくりの姿勢が垣間見える。

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まだまだ止まらない、次なるチャレンジ!

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〈The Brewers of Hiraizumi〉では、コーヒーや蔵ビールのほかに、地元食材を使ったメニューや、オリジナルパニーニなども味わえる。

2017年9月に平泉町にオープンした〈The Brewers of Hiraizumi〉もまた、
そうしたスタンスがかたちになったもの。世界遺産観光に訪れた人が
ふらりと立ち寄って、ビールやコーヒー、ランチを楽しむ。
“はっと”や“いわいどり”など地元食材を使った料理と
世嬉の一のビールをきっかけに
全国や外国の方々が岩手に関心を持ってくれるなら、
このスポットが持つポテンシャルは大きい。

平泉町の中尊寺駐車場前にある〈The Brewers of Hiraizumi〉。

100周年目の原点回帰とは

一杯のお酒が岩手を紹介するきっかけになり
誰もが楽しくなるような酒づくりを、という考え方は、
もちろん日本酒づくりにも通じること。

「終戦後、いろいろな歴史的背景のなかで日本酒市場は下降していきました。
でも、親父はここを残すために自分が育てた会社を売って事業を継続してくれた。
心の中では、もう一度日本酒づくりに力を注ぎたいという思いを込めて
僕にバトンタッチしてくれたので、
100周年記念事業として、自社独自の酒づくりを始めたいんです」

これまで、同社の日本酒づくりは共同醸造というかたちをとってきた。
経営面でのコストダウンと効率化を図るために、
何社かの酒蔵がひとつの工場を一緒に経営するやり方だ。

しかし今、再び自社で仕込みを行う工場整備を計画している。
そのスタイルは、1年を通して酒づくりを行う四季醸造だ。

「今の時代は冷蔵技術が進んでいるので、米を適切な環境で保管できます。
秋に収穫した米を使って冬に仕込む、というのも
伝統として残すべきひとつのかたちですが、
四季醸造によって工場の稼働率が高まるとともに
技術者の熟練度も早まります。ビール同様に季節に応じて
いろいろなものをつくっていきたいですね」

敷地内には仕込み蔵を改装した酒の民族文化博物館(9:00〜17:00、入館料大人300円)がある。館内に展示された、昔ながらの道具たちは地域の方々が寄贈してくれたものも多数。

日本酒づくりの伝統を守りながらも、固定概念にとらわれず進む。

「アルコールって人生を楽しくするもの。
お客さまに対する品質はこだわっても、
自由な発想を持ってものづくりをしていきたい」と航さんは話す。

倉庫をそのまま利用した売店には世嬉の一酒造の日本酒やビールのほかに、地元企業とコラボしたオリジナルの商品などのお土産品も並ぶ。

一関市の〈大林製菓〉とともにつくった、9種のおもちが味わえるお土産商品〈果報餅〉。(写真提供:世嬉の一酒造)

記憶に残るまちの風景となるため

「普通の酒屋だったら自分はきっと一関に戻っては来ていない。
父たちの仕事の大変さを見ていましたから……。
でも、ビール醸造に郷土料理レストラン、商品開発など、
うちはいろんなことをやっていたからこそ、おもしろそうだと思えたんです。
スタッフそれぞれが自分のポジションでプロフェッショナルになり、
自分たちのアイデンティティーとなるものづくりの場をしっかり築いてほしい。
それが、仕事への誇りにつながるはずです」

2018年3月にまずはビール工場の規模を広げ、
日本酒工場に取りかかるのはその先だが、思いにブレはない。
事業は多様に広がっても、すべては1本の根っこにつながっているのだ。

「蔵を維持しているのは私たちですが、
この蔵の風景はまちの人々のもの。会社を売ってまで
この場所を今につないできた父からは、借金してでもこの風景を残せと言われます」

同じ敷地にかつて映画館があったという。それを伝える古い写真が博物館に展示されている。地域の人が見るとさまざまなエピソードを教えてくれるという。

蔵がある風景は、一関の人々がまちを思い起こす記憶に欠かせないもの。
時折、向かい風を受けながらも、この場にこだわって酒づくりを続けていくのは
皆の記憶に残る風景を、守り続けるためでもある。

information

map

世嬉の一酒造株式会社

住所:岩手県一関市田村町5-42

TEL:0191-21-1144

営業時間:売店9:00〜18:00、蔵元レストラン せきのいち11:00~14:00 17:00〜21:00(LO20:00)、cafe 徳蔵10:00〜17:00

Web:http://sekinoichi.co.jp/

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