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現在ある素材で、
新たな環境をつくる。
403architecture [dajiba] vol.2

リノベのススメ
vol.071

posted:2015.5.8   from:静岡県浜松市  genre:活性化と創生 / アート・デザイン・建築

〈 この連載・企画は… 〉  地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、
そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。
日本各地から、物件を手がけたその人自身が綴る、リノベーションの可能性。

writer's profile

403architecture [dajiba]


2011年に彌田徹、辻琢磨、橋本健史によって設立された建築設計事務所。静岡県浜松市を拠点に活動している。2014年に第30回吉岡賞受賞。
彌田徹(やだ・とおる)1985年大分県生まれ。2011年筑波大学大学院芸術専攻貝島研究室修了。
辻琢磨(つじ・たくま)1986年静岡県生まれ。2010年横浜国立大学大学院建築都市スクールY-GSA修了。現在、大阪市立大学非常勤講師。
橋本健史(はしもと・たけし)1984年兵庫県生まれ。2010年横浜国立大学大学院建築都市スクールY-GSA修了。現在、名城大学非常勤講師。

credit

メイン写真:kentahasegawa

403architecture [dajiba] vol.2

第2回目のインタビュイーは、第1回目のennの林さん同様、
僕たちが日頃からお付き合いさせていただいている方のひとり。
403architecture [dajiba]を設立して、
おおよそ1年が経つ頃に店舗の改修を依頼していただいた
「手打ち蕎麦 naru」の石田貴齢さん、通称ごりさんです。 
naruは、蕎麦はもちろんそのほかの料理やお酒まで
こだわり抜く本格的なお蕎麦屋さんですが、少し変わった一面も。
蕎麦屋の奥に「conaru」と呼ばれるイベントスペースも運営していて、
ご飯を食べにくる人のほか、さまざまな人が集う場所となっています。
そんなnaruの石田さんとの話を通して、
僕たちのことや僕たちが関わる浜松という都市の状況が垣間見られればと思います。
今回は、彌田が担当します。

自分が見渡せる環境の中で、働く

彌田

お話を伺う前にあれなんですが、第1回目の記事は読んでいただけました?

石田

読みました。読みました。

彌田

どうでした?

石田

いいんじゃない。ありのままって感じで(笑)。今回は何を話す感じなの?

彌田

日頃聞けないことを聞ければうれしいです。
ごりさんと初めて会ったのは、
浜松出身の建築に携わる人が主催した「第1回浜松建築会議」の打ち上げの時です。
途中から来たのに学生のみんなが「ごりさん、ごりさん」と騒ぐのを遠目から見て、
ここらへんのお兄さん的な存在なんだと思いました。

石田

あーちらっとお店に言った時かぁ。
僕は、ちゃんと会ったのって3.11のあとだと思ってた。
でも、辻ちゃん(403architecture [dajiba]のひとり)は
その前から浜松で活動していて、
確か鍵屋ビル(前回登場したマシューが入居するまちなかの古い共同ビル)を
有効利用するとかしないとか、そんな話をした気がする。

彌田

それは、「untenor」としてですね。

※untenorは、辻のほかに、植野聡子さん、吉岡優一さんの3人を中心に、
2010年より浜松を拠点に「教育」と「まち」をテーマに活動するメディアプロジェクト。

石田

そう。で、どのタイミングだったかは忘れちゃったけど、
「4月から独立します」と言われて……。

彌田

僕と橋本がやってきたと。

石田

その時は、建築に使われる材料をリユースして……なんて言っていたよね。

彌田

「マテリアルの流動」ですね(笑)。

石田

「マテリアルの流動」ね(笑)。

手打ち蕎麦 naruの店内で、石田さん(左奥)に話を聞く。

石田

実は、そのとき僕もちょうどリサイクルについて考えていて。
naruをつくった時にいっぱいゴミが出て、それを捨てるのにお金がかかる。
でも、また新しい材を買うわけでしょ?
服とかだと古着として捨てる神あれば拾う神ありだけど、
建築ってすごいゴミを出すんだという実感があった。
でも、気持ちよい場所にするにはつくり変えなきゃいけないし。
そんな時に聞いたから、この子たちは応援しないといけないなと純粋に思ったんです。

彌田

僕らは設立当初、建築の制作過程をそこまで知らないながらも意識していたことは、
一般的には見落とされがちなものを
建築をつくるときの一部として捉えられないかということで。
廃材の活用は、その考えを実践する手法のひとつでした。

石田

そうだよ。dajibaの設立当時だったら、
僕のほうが詳しかったんじゃない? それこそここをつくったばっかりだったし。

彌田

たしか、お店の図面も自分でイラストレーターで描いたと言ってましたよね?

石田

時間がいっぱいあったから(笑)。
あと、普通、施主は現場にいないと思うんだけど、
暇だったから僕はここにいて、大工さんといろいろやり取りしてた。
例えば、キッチンの天井に後々戸棚を吊るかもしれないから
石膏ボードの下地に合板張っといてね。みたいな。
それを現場監理っていうかはわかんないけど。

彌田

そんなのつくり慣れていないとわからないですよ?

石田

年の功というか、手を動かすのが好きだったからね。
小学校の頃につくったラジコンとか。
ラジコンと言ってもサーキットで走らせるような本気の。
速く走らせるためにマシンを改造するんだけど、
そのときにドライバーとかちょっとした工具の使い方を学んだり、
適当にやったら、適当な結果になるということも学んでたんだよね。

彌田

へー。

石田

まぁ、小さい頃から何かをつくるのが好きだったってことかな。
仕事で事務所をつくるときも僕が担当したり、
ニューヨークでマンション借りた時も
棚付けたり、配線を通したり、自分で部屋をDIYしてたんだよね。

彌田

ニューヨークに住んでいたこともあるんですね。
お蕎麦屋さんになる前のお話は、聞く度に
いつも初めてのネタが出てきますね(笑)。
なんでお蕎麦屋さんを始めようと思ったんですか?

石田

それは、人が集まる所で何かをしていたいと思ったのが一番大きな理由かな。
奥さんの実家に帰省する度に、おいしいお蕎麦を食べていたこともあって、
蕎麦が身近なものだったし、
勉強してみたところお蕎麦って賞味期限が短くて、
気を使ってお客さまに出すには
席数はあまり多くできないっていうミニマムな世界だった。
自分が見渡せる中で仕事ができそうっていうのも大きいよね。

彌田

場所は、最初から実家がある浜松だったんですか?

石田

そうだね。今から10年ちょっと前のことだったけど
東京はなんかこれ以上住むと息が詰まる感じがしたんだよね。
あと、蕎麦ってすごいシンプルだから
お客さんの反応がダイレクトに返ってくるのも良いなぁと。
僕、DJもやってたじゃない?
DJの時も曲を変えるとお客さんの反応がすぐ返ってくるし、その辺りは似てるかな。

彌田

あー。そういう感覚はなんとなくわかります。
設計の仕事も打ち合せでお施主さんと直接お話するので、
良い悪いの反応がすぐわかりますね。
「開放的にしたいけどプライバシーは守りたい」と一見矛盾した要望もよくあるので、
提案のバランスはそのやり取りの中で決まっていくことが多いんです。
たしかにそこは面白いですよね。

Page 2

周囲のコンテクストを生かしつつ、新しい状況を生む

彌田

話を戻すと、お蕎麦屋さんを始める前にもDIYをバンバンやっていて、
お店づくりもほとんど自分でやっていたごりさんが
お店を改修するとき、僕らに依頼してくれたのは、何がきっかけだったんですか?

石田

応援したいと思っていたこともあって、
機会をつくれるならばつくってあげたいっていうのもあった。
でも、飲食店を経営していく上では
もうちょっと席数を増やしたいと思ったのが正直なところですよね。
まぁいろいろあって、最終的にお願いした改修は厨房の拡張と
「conaru」との間に仮設的につくっていた
倉庫の増築という製造拠点をサポートする場所に重点を置いた感じになったんだけど。

彌田

そうですね。機能的には厨房と倉庫なんですけど、
展示会や音楽のイベントが行われる「conaru」が
その奥にあるというのが最大の特徴だと思っていました。
倉庫の外壁は、conaruの空間と隣接しますから、
単なる壁ではなく、そこに導くための仕かけが必要なんじゃないかなって。
そこで、壁の構造は大工さんにお願いして、一般的な構法のものにしつつ、
表面に、僕らがストックしていたバーティカルブラインドを使って編み編みにした。
そば蒸籠のざるの部分的な(笑)。

©kentahasegawa

板屋町の壁紙
「手打ち蕎麦 naru」の厨房と倉庫の増築。
ストックしていたオフィス用のバーティカルブラインドを
併設されたイベントスペースのエントランスとなる通路に面した壁に用いている。
内側の機能に合わせて、異なる用い方をしている。

通路の両側に施された壁紙のうち、こちらは倉庫側。©kentahasegawa

石田

すごいマッチしてるよね。
一般的な工務店に頼むとすごいラグジュアリーになっちゃうか、
もしくはすごい和風になっちゃうでしょ? だから素晴らしいなと。
でも改めて当時を思い出すと……(笑)。

彌田

え、どうしたんですか?

石田

いや、dajibaが自主施工していた時に
「ビスの頭が出てる」とか、みんなにいろいろ突っ込んだことを思い出して。
でも、言ってよかったと思ってる。
言ったからこそ弛まないように強度をいっそう気を付けてくれたしね。
この辺りからdajibaがネジ巻かれて来たなって気がしてますよ。

彌田

ネジが巻かれてきた?

石田

それまでは、自主施工だから少しラフな仕上げの印象で、
それはそれでよかったんだけど、
大工さんと協働するようになると、仕上げや強度のクオリティーもあがりつつ、
一般的なものに引っ張られ過ぎないものができたというのかな。

彌田

そうですね。僕らもいくつか自主施工して、
少しはきれいにつくれるようになったとは言え、
当たり前ですが大工さんのほうがはるかにきれいで早い。
これを実感したのはこの「板屋町の壁紙」の前のプロジェクトで。

石田

門西さんとやったやつね。

彌田

はい。
門西建築の門西健二さんには今でもさまざまな現場でお世話になっています。
現場で調整していくなかで
つくりとしては簡単だけど数がものすごい量が多いとか、
廃材のような一般的にはあまりない特殊な素材を扱う場合にも
手間賃がかかり過ぎることがわかって、
そういう部分は自主施工した方がいいんじゃないかと考えるきっかけでした。

「板屋町の壁紙」だと廃材を使った編み編みの部分を
自主施工したのもそういう理由なんです。

もう片側の壁紙。奥がイベントスペースconaru。©kentahasegawa

彌田

施工と同じタイミングでconaruで開催していた
dajibaの取り組みを展示する「現材料/プレゼント・マテリアル」展は
そういう誰でもできる施工方法を意識はしてるんです。

石田

そうだよね。でも、+tic(403と同じく浜松を拠点に、
鈴木知悠と鈴木陽一郎のふたりが主催する建築デザイン事務所)がやってる
「みんなの工房」みたいにいろんな人が参加するイメージだったんだけど、
あの展示、意外とインスタレーションっぽくなっちゃってなかった?

彌田

う、それは告知が直前になりすぎちゃったというのもあるんですが、
施工期間も詰まっていたので、壁紙自体は自分たちでやってしまおうと。
その結果、インスタレーション寄りなかたちになっちゃったんです。
ブラインドを編みこんで、両端から強く引っ張る、
シンプルなつくり方なので一応誰でもできたんですけど……。
でも、展示した道具や材料は誰でも使ってよかったから、
廃材で棚をつくっていく人もいたりして、
今振り返ってみてもいい展示だったんじゃないですか?
自分でいうのもなんですけど(笑)。

石田

いや、アーカイブとしてすごくいいとは思ってるよ。
だからこそ、いろんな人に見てもらいたいじゃん。

彌田

確かに……(汗)。

©kentahasegawa

「現材料/プレゼント・マテリアル」
「板屋町の壁紙」の施工に合わせてconaruで行った展覧会。
403architecture [dajiba]が模型製作や施工時に
日頃使用している道具や材料と完成した模型やモックアップを展示した。
道具や材料は誰でも使ってもいいものとし、
展覧会で行われる行為と隣で行われている施工の様子が連続する展覧会とした。

©kentahasegawa

石田

あと、ちょっと話変わるけど、当時、思っていたことは建築家の仕事についてかな。
建築家っていう仕事って未知数じゃない。

彌田

そうですか?

石田

だって、普通の人は家だって一生に一度つくるくらいしか機会が無いわけで、
一般的には建築家に頼むなんてそうないじゃない。
だから、そうそう自分の目の前に現れない人でしょ。

彌田

言われてみると、そうですね。

石田

しかも写真家とかだったら、実際は詳しいことはわかんないけど、
カメラを持って写真を撮るとか、姿はほぼ世界共通だけど、
建築家ってそのイメージすらできないから、何をする人たちなのって。

彌田

なんか、すいません。

石田

だから、そういう意味ではDIYをやっている店主と
建築家である君らとやったミーティングは、
僕の人生では豊かなものになっていると思ってるんです(笑)。

彌田

それは、うれしいです。

石田

しかも建築家ってなぜか偉そうなイメージもあるけど、
dajibaは歳も若いし、何ならDIYの技術なら僕と同じくらいで、
社会経験もそんなに積んでるわけじゃないからいろいろ言えたしね(笑)。

彌田

いやいや、それはありがたいことですよ。
実際、今でも全然変わってなくて、建築のことばかりじゃなくて、
独立してみないとわからない社会のルールやマナーも含めて、
お施主さんや大工さんから教えてもらうことが多いんですよ。

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異なる種類の場所を持つということ

展示がないときのconaru。

彌田

イベントスペースのconaruの構想は、お店の開店当初からしていたんですか?

石田

いやいや、ないない。
むしろ、そんな場所を持つ必要なんてないと思ってたし、
本当はイベントとかするつもりなかったんだよね。
お蕎麦屋さんだし。
でも、もともとそんなことをいっぱいやってたからね。
いつのまにか、なるべくしてなったんでしょうねー。

彌田

えー、それは意外です。僕らが浜松に来た時は、
既にそういう場所として認知されていたから
てっきり最初から計画されたものだと思ってました。

石田

だって、不動産的には別物件だったからね。
本当は間に壁もあったし。工事のときに資材を置かせてもらっていたくらいで。
それで、だんだん資材がなくなってきた時に
友人が連れてきてくれた人が露草市の谷川さん
(浜松で定期的に開かれている雑貨市「露草市」の主宰者)だったんだよね。

彌田

露草市がconaruの始まりなんですね。

石田

そう。で、マーケットやるんだったら、
照明が蛍光灯だと雰囲気が出ないからなんとかしないと、と思って、
天井を落としたり、壁とったり。
結局電球は間に合わなくて、工事電球で間に合わせたんだけど(笑)。

彌田

天井抜くって(笑)。現状とかなり変わっちゃいますけど、
大家さんは大丈夫だったんですか?

石田

あ、それは事前に大家さんにプレゼンしてますよ。
でも、天井抜くってあたりが僕らしいよね。
普通やんないじゃん。だから、なんでも大変になっちゃうんですよ。

彌田

(笑)。

石田

でも、使う人が、雰囲気よかったよと言ってくれるとうれしいわけで。
じゃ次もバージョンアップさせないとなみたいな。

彌田

どんどん大変になっていっちゃいますけど、それがごりさんの原動力なわけですね。
本当はイベントとかやるつもりなかったなかったはずなのに、
結果的にconaruが誕生して、いろんなことが起こっているんですよね。
僕はいい意味で変わったお蕎麦屋さんだなぁと思っていたんですが、
ごりさんはconaruについて今はどう思います?

石田

スペースやイベントがあるから、新たな出会いが生まれてきたのは確かだし、
違うことが起こることでお店を知ってもらう機会にはなったとは思いますね。
最近は、ありがたいことに日常的に客席として使うことも増えているので、
よかったのかな。

石田

conaruのイベントの回数は以前ほど多くはないんですけど、
ただ、こうなったからには
やっぱりもう1回リノベーションしたいなって最近思うんですよ。
今度こそは両スペースを含めた一体的な感じで。

彌田

え、そうなんですか?

石田

今の、空間がわかれた感じもいいんだけど、
イベントだけじゃなく客席としても利用ができるなら、
イベントスペースと飲食スペースは、上手くパーテーションとかを使ってわけても
空間として一体となった感じにできるんじゃないかって。

彌田

客席を広げながら?

石田

そう。広げながら。だから、その時は「板屋町の壁紙」も解体ですよ。

彌田

え、解体!?

石田

あ、移設ね。そういうかたちでお願いしたいなって。
タイトルも少し考えていて「続・板屋町の壁紙」とか(笑)。

彌田

それは、ぜひやらせてください。

色んなものや人、コトが混ざり、つながっていく環境

石田

でも、そろそろあれだよね。
僕ももうすぐ8年目だし、いろいろ次のステップに進んでいかなきゃダメだよね。

彌田

たしかにそうですね。僕らも設立して4年経っていますからね。
4年って、大学だったら入学して卒業しちゃいますからね。驚きです。

石田

社会にでると学年がないからね。先輩もいないし。
自分で計画をつくっていかなきゃいけないし。
自分でもよくできたなって思うよ。
たぶん、ennの林さん(第1回目に登場)に会わなかったらやれてないと思いますよ。

彌田

そう言えば、林さんとの出会いって帰ってきてすぐなんですか?

石田

いや、帰ってきてから2年後くらいだったかな。

彌田

イベントで出会った感じですか?

石田

いやいや、ennを紹介してくれた人がいて、最初奥さんが行って、
次に僕がお客さんとして行ったんだよね。
それで、浜松にもあんなステキなお店あるんだーというのが僕の第一印象ですもん。
その時は、すでにお蕎麦屋さんを準備していた時期だったんだけど、
まちなかでやろうと思ったのも、昔によくまちなかで遊んでたとか、
蕎麦屋はまちにあるものっていう感覚が僕の中であったっていうのもあるけど、
林さんが近くにいるからっていうのも大きな理由だもんね。

彌田

へー。ごりさんもそうなんですか。

石田

そう。そう考えるとそれ以前のことも大事だったなぁって最近思うんですよ。
大学で東京に出て、行く気はなかったんだけど、
美大という変な人がいっぱいいる大学に進むことになって、
面白い人とのつながりがたくさんできたのはすごい大事だし、
その変な僕が変なまま素敵なラップをやらせてもらっていた同時のつがりもあるし、
その後、HIP HOP系のアパレルをやることになって、
ニューヨークで生活をしていた時の人とも今またつながっている。
ほら、「BOOKS & PRINTS」で展示してたマイク・ミンさんとか、
実は何人か共通の知人もいて。なんか時空を超えて、
ちょっとずついろんなことがつながりあって、今があるって気がしてるんすよね。

彌田

おーなんか歴史を感じますねー。

石田

長いのと余計なこといっぱいやってきてるしね。
大体昔のことって、続けていないと、あんまりよいことないじゃないですか。
だけど、今、昔はこういうことしてたよって言っても、
不自然な感じがなくつながるから、奇跡的だなぁと思う。
そういう意味で、naruっ子もそうだけど浜松にいる若者に
「浜松にそのままいてほしくない」と言ってるんですよ。
まぁいてほしくないというと語弊があるけど、1回外に出てみたらってね。

彌田

それによって刺激を受けたり、新たなネットワークができたりね。

石田

そう。実際、林さんも1回外に出てるし、
彌田ちゃんだって浜松出身ってわけじゃないでしょ。

彌田

そうですね。

石田

もちろん、外に出られない事情があるなら別だけどさ。
そうじゃないなら、行ってみたらいいんじゃないかな。
だって、ふるさとはここにあるわけだし。
外からふるさとを眺めてもらったほうが、
僕たちやまちのためにもなるんじゃないかな。

彌田

それは、ありますよね。

石田

なんか、河口みたいなさ。
川と海の水が混ざることで、栄養がいっぱいあるわけでしょ。
自分のよさが相手のよさにつながる、というようになればいいよね。
そう考えるとdajibaも4年でnaruも7年経ったから、
当時浜松を出た人たちのなかで、
そろそろ帰ってくる人も出てくるんじゃない(笑)。

彌田

本当にそうなったらいいですよね。

石田

まぁ、それは意図的にできることじゃないけど、
dajibaもnaruもそういう子が帰ってきたいと思える環境だったり、
帰ってきたときに大人があたたかく見守れる環境をつくってあげなきゃね。

彌田

あ、なんかいい感じで締まりましたね(笑)。
夜の仕込みの時間もあると思うので、この辺で。ありがとうございましたー。

石田

こちらこそ。あ、そう言えば毎年周年記念でもらっている
数字のオブジェの6のタイルが割れちゃったので、修理してもらえると助かるなー。

彌田

あ、了解です。じゃあ、せっかくなのでconaruで作業してもいいですか?

石田

オッケー。じゃ、よろしくお願いしまーす。

information


map

手打ち蕎麦 naru

住所:静岡県浜松市中区板屋町102-12 2F

TEL:053-453-7707

営業時間:昼11:30〜14:30、夜18:00〜21:30

定休日:月曜※日曜は昼のみ営業

http://www.narusoba.com/

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