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日光の杉やいちごを活用!
〈NIKKO ART PLANNING〉で
新たな商品をつくる柴田智子さん

暮らす、働く、日光。
vol.004

posted:2018.1.30  from:栃木県日光市  genre:暮らしと移住

sponsored by 日光市

〈 この連載・企画は… 〉  世界遺産「日光の社寺」に代表される歴史や文化、自然や温泉も豊かな日光市。
観光地としても魅力的な日光ですが、ここでの暮らしを楽しんでいる人たちもとても魅力的。
日光で暮らし、働く人たちにスポットを当て、観光だけでない日光の魅力をお届けします。

writer profile

Ikuko Hyodo

兵藤育子

ひょうどう・いくこ●山形県酒田市出身、ライター。海外の旅から戻ってくるたびに、日本のよさを実感する今日このごろ。ならばそのよさをもっと突き詰めてみたいと思ったのが、国内に興味を持つようになったきっかけ。年に数回帰郷し、温泉と日本酒にとっぷり浸かって英気を養っています。

credit

撮影:石井孝典

外国人の視点を介して、地元の魅力を知る

里山の牧歌的な風景が広がる、日光市東南部の小代(こしろ)地区。
小屋といっていいほど簡素なつくりの東武日光線・下小代(しもごしろ)駅を出ると、
はす向かいにある木造平屋建ての、堂々とした建物が目に飛び込んでくる。
10年ほど前まで、現在の下小代駅の場所にあった旧駅舎なのだが、
それを移築保存した中心人物が、駅前の家で生まれ育った柴田智子さんだ。

柴田さんの実家の隣に、曳家工法で1か月かけて移設された旧下小代駅舎。いまはイベントなどで使うこともあり、柴田さんはこのスペースの活用も考えているという。

1929年(昭和4年)、東武日光線開通時に建設された旧駅舎が、
老朽化を理由に建て替えられることになった際、地元の有志が保存運動を展開して、
2007年に実現。2009年には登録有形文化財となっている。
柴田さんにとって旧駅舎は、幼い頃から毎日目にしてきた
何でもない風景の一部だからこそ、失いたくない場所だった。

「下小代駅は無人駅だったこともあり、道に迷った方や何かに困っている方など、
いろんな方が駅前の私の家にやってくるんです。
日光だから外国人の観光客も多かったし、遠足の途中で雨が降ってきて、
小学生が30人くらい雨宿りをするようなこともありました。

突然わが家に来た見知らぬ人に、母は漬け物を振る舞い、
父は父で偶然出会った外国人を家に招いたりしていたので、
私自身もいろんな人とコミュニケーションをとることが
自然と好きになったのだと思います」

旧下小代駅舎の昔ながらの改札。

東京の美大で設計を学んだ柴田さんは、卒業後、デザインや建築の仕事をしながら、
主に外国人をターゲットにしたキッチン設備のある宿泊施設〈NIKKO INN〉を、
実家の近くでパートナーとともに運営していた(現在は休業)。
訪れた外国人は“何の変哲もない”田舎の風景に感激し、
カエルやセミなどの大合唱に驚いたという。

「外国人が畳や障子や素朴な風景を褒めてくれるのを目の当たりにして、
日本の文化のすばらしさに気づかされたのですが、
それをもっと多くの日本人に実感してほしくて。
そのヒントが食にあるような気がして、
東京で〈WORLD BREAKFAST ALLDAY〉(以下、WBA)という
カフェレストランを始めたんです」

2か月ごとに変わるWBAのメニューにつく、各国の朝食文化にまつわる説明書き。柴田さんが考案し、イラストも手がけた。

2013年、外苑前にオープンしたWBAは、世界各国の朝ごはんの専門店。
たとえば日本の朝食の定番、白いご飯とお味噌汁、納豆、卵、焼き魚などは、
日本の食文化が凝縮されたメニューといえる。
同様に、世界各国の朝ごはんを食べ、その味を懐かしんで来店する外国人と
コミュニケーションをとることで、他国の文化を学び、
ひいては日本の文化を振り返るきっかけになればいいという思いがこもっている。

実家を改装し、NIKKO INNの受付として使っていたスペース。現在はNIKKO ART PLANNINGのアトリエオフィスとして改装準備中。

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課題解決の第一歩、日光杉の商品開発

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森林が抱える問題の気づきとして

ほかにも店舗プロデュースや、クリエイティブディレクションなどを
行ってきた柴田さんが、次なるステップとして立ち上げたのが
〈NIKKO ART PLANNING〉。これまで培ってきた人脈や経験を生かして、
世界と日光をつなげたいと考える柴田さんが、
その前に日光と東京の二拠点で活動していきたいと考えているのだ。

まず商品化を手がけたのが日光杉を使ったウッドプレート。
東京でWebマーケティングなどの事業を手がける
〈株式会社ロックストック〉による〈NIKKO CAMP〉というプロジェクトで、
ロックストックの代表・宮崎晋一郎さんも日光出身なのだという。
柴田さんは商品開発やロゴデザインなどで携わった。

〈NIKKO CAMP〉の純国産日光杉のウッドプレート。個別に使うもよし、パズルのように組み合わせて大きなプレートとして使うもよし。

「地域の人たちのあいだで栃木県産の〈ゆめかおり〉という小麦粉を使った
ピザづくりが流行って、お祭りで出したことがあったんです。
そのとき近所の材木屋さん〈大和木材〉の方が、杉の端材をお皿にして出してくれて。
それがかわいくて、ロックストックの宮崎さんと
“商品化したらいいんじゃない?”と話したのがきっかけです」と柴田さん。

お祭りのとき、ピザの皿として使っていた杉材の切れ端。シンプルだけど唯一無二の逸品。

日光や鹿沼は古くから良質な杉の産地で、東照宮まで続く日光杉並木は、
その象徴といえる。しかしながら日光杉はいま、深刻な問題に晒されているらしい。
ウッドプレートの素材を提供している大和木材の福田彦一郎社長は、こう説明する。

「森林には天然林と、戦後に木材生産のために植えられた人工林の2種類があります。
天然林は自然につくられた守るべき森林であるのに対して、
人工林は成長に合わせて間引きをして、
切って建材にして循環させていくべきなのですが、
安い外材に国産材が押されて、切りたくても切れない状況なのです」

「日本の森林には、天然林と人工林があることだけでも知ってほしい」と、熱く語ってくれた大和木材の福田さん。

人間と同じで、木も年を重ねると新陳代謝が悪くなり、
二酸化炭素の吸収量が少なくなってしまうという。
循環させるためには伐採が必要だが、日本の人工林の多くは
伐採期を迎えても、切られることなく山に残されている。

内側の赤っぽい部分と、外側の白っぽい部分が混在している杉板を「源平」といい、ウッドプレートにもその風合いが生かされている。

ウッドプレートの制作だけでは、抜本的な解決にはならないけれども、
国産材の需要と供給のバランスが崩れてしまっていることを
認知してもらうチャンスだと、福田さんは大いに期待している。

柴田さんたちは、クラウドファンディングを活用してウッドプレートを商品化。
「現在は販路を開拓しているところなのですが、
私もこのプロジェクトを通して日光の杉の現状を知ったし、
日本の本来の景観について考えるようになりました。
杉は軽くてとても扱いやすく、アイテムとしてもおすすめなので、
より多くの人に知ってもらえたらと思っています」

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いちごの新品種でつくる加工品

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東京と日光、どちらのよさも享受するために

もうひとつ、商品化に向けて試作を重ねているのが、いちごのサラミ。

「WBAを運営するなかで、クロアチアでコバシツァと呼ばれるソーセージを知って、
それがすごくおいしかったんです。
練ったドライフルーツにナッツなどを加えて、棒状に固めるのですが、
見た目がサラミみたいなので、フルーツサラミともよばれています。
通常はイチジクやプルーンなどでつくるのですが、
地元のいちごをベースにしたらおもしろいんじゃないかなって」

試作段階のいちごサラミ。なつおとめのドライフルーツに、相性のいいほかのドライフルーツやマカダミアナッツ、ピスタチオ、ごま、チアシードなどが練り込まれている。

栃木のいちごといえば〈とちおとめ〉や〈スカイベリー〉が有名だが、
柴田さんは最近出回るようになった〈なつおとめ〉という新品種を
使いたいと思っている。なつおとめは名前の通り、とちおとめなどがシーズンを終える
夏から秋にかけて収穫できる品種として開発されたいちご。

出荷されるなつおとめ。粒は小さめだが形がきれいなのが特徴で、ケーキなどに重宝される。

柴田さんは、なつおとめを生産している竹澤宜浩さんと地元のイベントで知り合い、
この話を持ちかける。4年前にUターンして米農家を継ぎ、
2年前にいちごの栽培を始めたばかりだった竹澤さんにとっても、
うれしいお誘いだったようだ。

「夏場は特にいちごの傷みが早いので、加工品に回したいと思っていたのですが、
すでにいろんな商品があるので、どうすればいいか悩んでいたんです。
柴田さんのアイデアはいままでにないものだと思うので、
僕のつくったいちごを使ってもらえるのはありがたいですね」と竹澤さん。

公務員から農業に転身した竹澤さん。Uターン組として、お互いの活動に共感する部分も多い。

柴田さんは「完熟した一番おいしい状態でドライフルーツにできるのは、
地元で加工するからこそ。いちごは茎の部分をお茶にしたり、
葉をサクラみたいに塩漬けにもできたので、有効活用していければと思っています。
竹澤さんも私もUターンをして、新しいことを始めて間もないから、
既成概念にとらわれることがないし、似たような課題を抱えていたりもする。
共有できる部分がたくさんある人と、日光の特産を使って
新しいものをつくっていくのは楽しいですね」と話す。

いまは次々と出てくるアイデアを、ひとつずつかたちにしていく段階。
東京で生まれた縁を日光へ引っ張ってきたり、
地元にいるとなかなか気づけない魅力を東京へ発信して、“逆輸入”することで、
そのすばらしさに目からウロコが落ちたり。これまで手がけてきたことも含めて
柴田さんが可能性を感じるのは、価値を転換することなのだろう。

「難しいとは思うけど、あるものを別のかたちにしたり、
まったく違う見せ方にすることで、社会の問題を解決していきたいんです。
これからは日光と東京のお客さんを交換するようなこともやっていきたいし、
日光と世界をつなぐことをしたい。日光だったら、それができると思うんです」

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