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〈はじまりのローカル コンパス〉
ナビゲーターに聞く
「益子町/栃木市の魅力って
なんですか?」

ローカルの暮らしと移住
vol.016

posted:2016.9.29   from:栃木県益子町/栃木市  genre:暮らしと移住 / ものづくり

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〈 この連載・企画は… 〉  ローカルで暮らすことや移住することを選択し、独自のライフスタイルを切り開いている人がいます。
地域で暮らすことで見えてくる、日本のローカルのおもしろさと上質な生活について。

writer profile

Miki Hayashi

林みき

はやし・みき●フリーランスのライター/エディター。東京都生まれ、幼年期をアメリカで過ごす。女性向けファッション・カルチャー誌の編集を創刊から7年間手掛けた後、フリーランスに。生粋の食いしん坊のせいか、飲料メーカーや食に関連した仕事を受けることが多い。『コロカル商店』では主に甘いものを担当。

photographer profile

Hiromi Hashimura

橋村広美

はしむら・ひろみ●​studio23勤務後、フリーランスのカメラマンに。 ​ファッション、ポートレート、旅、アウトドアをメインに撮影。

credit

supported by とちぎユースサポーターズネットワーク

「暮らしにローカルを10%プラスする」という発想

ローカルで暮らすことや移住することを選択し、
独自のライフスタイルを切り開く人が増えるなか、
移住をサポートするさまざまな取り組みが各都道府県で行われている。
そんななか「あなたの暮らしに、ローカルを10%プラスする」というコンセプトのもと、
都市部に住みながら栃木と関わりを持つ暮らしを提案しているのが、
栃木県と若者の社会参画を後押しする
NPO法人とちぎユースサポーターズネットワークとの協働により
2015年に開始された〈はじまりのローカル コンパス〉という取り組み。

現在このコンパスでは、10月8日に行われる
東京でのオリエンテーションを皮切りとした
2016年度の体験ツアー〈ひととまちとつながる旅〉の参加者を募集中。
「実際にとちぎとつながる」をテーマとしたこのツアーでは、
益子町と栃木市のいずれかを訪れ、地域プロジェクトを行っている方々をナビゲーターに、
栃木での暮らしや仕事を体感するという内容。
各地域のナビゲーターとして参加される方々に、彼らが行っている地域プロジェクトや、
暮らしているまちの魅力についてうかがった。

ものづくりたちが集まるまち、益子町

焼きものや陶器に詳しくない人でも、一度は耳にしたことがあるであろう益子焼。
その産地であり、焼きもののまちとして知られる益子町の地域ナビゲーターとなるのは、
2009年に町で開催されたアートイベント
〈Earth Art Festa 土祭(ひじさい)〉をきっかけに誕生した地域コミュニティ
〈ヒジノワ〉に参加している3人。

土祭以降、カフェやギャラリースペースとして活用されている〈ヒジノワ CAFE & SPACE〉。手仕事作家のマーケットも開催されている。

「土祭では築100年の古民家を改修して展示会場にしたのですが、
土祭が終わったあとにそこを閉じてしまうのはどうかと思ったんです。
そこで『みんなで何かやろうよ』と始まったのがヒジノワです」と話すのは、
ヒジノワの立ち上げから参加している大工の高田英明さん。

宇都宮市の南にある、上三川出身の高田さん。益子にあるギャラリー・カフェとの出会いをきっかけに益子で暮らしはじめた。

現在は30人程度のメンバーがいるというヒジノワだが、
その8割近くが県外から益子にやってきた人たち。
「県外や都内に暮らしていて、
月に1〜2回ヒジノワ CAFE & SPACEで日替わりのカフェを出店する方もいます。
メンバーも陶芸家や建築家といったものづくりをしている人だけでなく、
役場の職員さんや茨城でスケート教室の先生をしている人もいる。
世代もバラバラで、大学を卒業して間もない若い人もいれば、80歳近い方もいます」

元は焼き肉屋だったという建物を改装した高田さんのご自宅。家具も手製のものが多い。ティピはお子さんへのクリスマスプレゼントなのだとか。

「大工の修業であちこちの地域に通っていた時期も含めれば、
益子に暮らして17〜18年になります。
でもヒジノワに入るまでは職場と自宅の往復だけだったので、
地域とのつながりはそんなになかったんですよ。
ヒジノワを通してさまざまな人と接点を持つようになり、だいぶ生活が変わりました」
と高田さん。

高田さんと奥さまの純子さん。宇都宮出身の純子さんも「かつて益子はおじちゃんやおばちゃんが行く場所というイメージでしたが、いまはおしゃれな人が来るようになりましたね」と、まちの変化を感じている。

窯業と農業のまちとして知られる益子での暮らしは、
さぞかしゆったりとしたものかと思いきや
「イベントが多かったり、意外とゆったりしてない」のだそう。
移住をするにせよ二拠点居住にせよ、地域とのつながりを持つと持たないとでは、
ライフスタイルに大きな違いが生じるようだ。

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ひとりで移住もアリ!?

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簑田理香さんと、陶芸家の矢津田義則さん。矢津田さんのご自宅にて。

2人目の地域ナビゲーターは、
益子の人と暮らしを伝えるフリーマガジン『ミチカケ』の編集人である簑田理香さん。
益子に暮らして20年以上経つという簑田さん。

簑田さんが編集する『ミチカケ』。公式サイトでも、その内容を見ることができる。

さぞかし昔から地域のつながりを持たれていたのだろうと思ったが、
「東京の出版社や編集プロダクションの仕事をしていたので週に何回も東京に行っていて、
あまり益子の人と知り合っていなかったんです。
でも土祭のお手伝いをして、ヒジノワに加わってから、地域と一気につながりましたね」

明治4年築の庄屋づくりの古民家を益子に移築した、矢津田さんのご自宅。以前は同じ益子町にあった茅葺き屋根の家をリノベーションし暮らしていたのだそう。

そのなかで簑田さんが知り合ったのが、
現在『ミチカケ』でセルフリノベーション住宅に関する連載をされている、
陶芸家の矢津田義則さん。
「僕が移住してきた30年前は、よそから来て益子に住む人は陶芸家が中心でした。
でもいまは陶芸家だけでなく、いろいろなジャンルの人がまちに集まってきています」
と矢津田さん。

自宅のギャラリースペースに並ぶ矢津田さんの作品。

「人間国宝の濱田庄司が1924年に益子で作陶を開始していた頃から、
焼きものや何かものをつくるために
よそから移住して来た人を受け入れる下地が益子にはできているので、
住みやすいんでしょうね。あと陶芸家を目指している女性で、
ひとりで益子へ移住してきたという人もけっこういる。
ほかの地域だと女性ひとりで、っていうのは、なかなかないと思います」

陶芸家であり、ヒジノワの代表でもある鈴木さん。「人づきあいが苦手で、この職業を選んだ」という鈴木さんだが、ヒジノワでの活動を通し「人と交わる楽しさがわかるようになった」という。

「陶芸の世界はいま、すごい変革期なんですよ」と話すのは、
3人目の地域ナビゲーターの益子焼の陶芸家・鈴木稔さん。
「若い作家さんでも、SNS上で影響力のある人に
“○○さんの器です”と紹介されるとパッと火がつく。
個展を開けば開場前に行列ができて、
作品が完売するという作家さんが益子のあちこちにいます。
お店側も若い作家さんの作品をたくさん仕入れるようになり、
焼きものを買うお客さん自体も若返ってきています」

鈴木さんの作品の一部。北欧のデザインも取り入れた、やわらかなフォルムと色使いで人気。

ただ「益子に来たからって必ず陶芸家として成功するというわけではない。
結局どこに行っても、どんな職業についてもそうですが、
まずは生計をたてるための職業がないとダメだと思います」と鈴木さん。
「でもそれ以外の暮らしやすさで言えば、益子はいいです。
田舎で近所づきあいに苦労するっていう話もあるようですが
益子だとそういう話は聞かないですし。
そういう意味では都市部とかに長く住んでいた人がポッと益子に来たら、
逆に暮らしやすいかもしれないですね」

窯入れを待つ作品たち。

ものづくりやアートに携わる仕事をしたい人にとって、
さまざまな魅力と可能性にあふれる益子町。
冒頭で触れた体験ツアー〈ひととまちとつながる旅〉でのフィールドワークは
作家さんへのアトリエ探訪や一日弟子入り体験など、これもまた興味深い内容。
焼きものや陶器に興味がある人や、
活動拠点を都会からローカルへと移動させたいと考えているクリエイターにとっても、
新しい暮らし方の選択肢が増えるきっかけとなるかもしれない。

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益子町から、蔵のまち栃木市へ

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商人のまちで体験する、地域づくり

江戸時代に市内を流れる巴波川(うずまがわ)を利用した江戸との舟運と、
日光例幣使(れいへいし)街道の宿場町として栄えた商都、栃木市。
このまちの地域ナビゲーターとなるのは、栃木らしい空間・モノ・ロケーションを活用して、
暮らしの楽しみをつくり広げる活動を行う
〈マチナカプロジェクト〉のメンバーである大波龍郷さん、後藤洋平さん、中村 純さんの3人。

蔵のまちとして知られる栃木市には、
現在も江戸時代から明治時代にかけて建てられた蔵や商家などが多く残っている。
しかし、それらの中には空き家となっているものも少なくない。
そういった建築物を活用しながら人と人とをつなぐのも彼らの活動の一部。
現在は明治から大正期に建てられた旧家の邸宅を活用し、
栃木の「おもしろい」をひらく場所〈パーラートチギ〉として生まれ変わらせようとしている。

栃木市の中央を流れる巴波川(うずまがわ)。蔵が建ち並ぶ景観の中を流れている。

メンバー全員が栃木高校の同級生というマチナカプロジェクト。
「僕は転勤族育ちだったので、地域に根ざしている建物とか生活に憧れを感じていて。
高校時代に通学していたのをきっかけに、
栃木の歴史あるまち並みや暮らしに興味を持ったんです」と話すのは代表の大波さん。
「県外の大学を卒業した後、なかなか栃木市に関わるきっかけが見つからずにいたんですが、
2011年に現在の勤務先であるNPOや市民活動団体を支援する施設に就職が決まり、
栃木市で活動できるようになり、マチナカプロジェクトの前身となる活動を始めたんです」

現在〈パーラートチギ〉へとリノベーション中の邸宅。ファサードは大正期に建てられた洋館だが、奥は明治期につくられた和風の木造建築という不思議なつくり。

そのとき大波さんが声をかけたのが当時、東京でゼネコンの設計部に勤務していた後藤さん。
「大学でまちづくりに関わる研究室にいて、
まちにとって大切なことは効率や便利さだけではなく、
住んでいる人が愛着を持てることだと体感しました。
そして栃木市に目を向けたとき、まちに歴史があり、これだけの建物が残っていて、
これからのまちの姿に大きな可能性を感じたんです。
将来は地元に戻って建築家として独立という考えは漠然とあったのですが、
そのときあらためて地元に戻って活動しようと思いました」

邸宅奥の座敷。外観のイメージをくつがえす、純和風のつくり。

後藤さんを通し、ふたりが携わる活動を知ったのが、
「大学卒業後、栃木でまちづくりに参加したものの
地域に根ざして仕事をつくることができず東京のハウスメーカーに勤務していた」
という中村さん。
「“同世代でそんな活動をしている人がいたんだ!”と思い栃木へふたりに会いに行きました。
その後メーカーを辞め、縁あって栃木に戻ってきたとき、
それぞれ得意分野が違う同級生3人で何か一緒にできることはないかと考え、
マチナカプロジェクトを立ち上げることになったんです」

座敷がつくられた際、手掛けた大工の名前などを記した板。座敷は明治45年に、表の洋館部分は大正11年に建てられたという。

大波さんはコーディネート、後藤さんは空間づくり、中村さんは不動産を
それぞれ担当するマチナカプロジェクト。
活動に対するまちの人々の反応は
「空き家になっていた建物が活用されることに関しては“明るくなっていいよね”と
応援してくれています。まちの人たちもシャッター商店街になりつつある現状を
良しとは思ってないので」と後藤さん。

〈マチナカプロジェクト〉の3人。左より中村さん、大波さん、後藤さん。

まちづくりを通してさまざまな人と知り合い、栃木での暮らしが楽しくなったという3人。
〈ひととまちとつながる旅〉の体験ツアーでも、
それぞれの得意分野を生かしたフィールドワークを用意する。
その内容も、〈パーラートチギ〉のリノベーション作業、
栃木の素材×得意なことで小商い、自分や家族の記念ごとの企画など、
さまざまな視点でこれからの栃木市の暮らしの楽しみをつくる活動に参加できる。
栃木に限らず、まちづくり活動に興味がある人にとっても
有益な体験を得られるツアーとなりそうだ。

ふたつの異なる特徴を持った栃木県のまちとの関わり方を体験できる
〈ひととまちとつながる旅〉。
都市部での暮らし方を変えたい人、
仕事や趣味などの活動の幅をより広げたい人はぜひ参加を。
東京から90分で行ける“身近なローカル”栃木で、
暮らしをより豊かにするヒントを見つけてほしい。

information

ひととまちとつながる旅

2016年10月8日(土) ~ 2017年1月28日(土) 東京都~栃木県にて開催。

募集人数:20名(各コース10名)

参加条件、応募詳細はこちらの公式サイトをご覧ください。

http://www.hajimari-local.jp/event/16long/

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