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連載

TOYOOCOME!
豊岡に来て、暮らして。
その2:豊岡移住のリアル
鞄職人・中野ヨシタカさんの場合

ローカルの暮らしと移住
vol.009

posted:2016.3.17  from:兵庫県豊岡市  genre:暮らしと移住 / 活性化と創生

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〈 この連載・企画は… 〉  ローカルで暮らすことや移住することを選択し、独自のライフスタイルを切り開いている人がいます。
地域で暮らすことで見えてくる、日本のローカルのおもしろさと上質な生活について。

editor's profile

Aya Yamamori

山森 彩

やまもり・あや●兵庫県生まれ。神戸市在住。ある取材をきっかけに、海と山が近く、潮の香りが漂うまちに移り住み、商店街やまちをおもしろくする活動中。取材に出かけて、人々のお話を聞き「思い」を言葉で伝えることがライフワーク。プロジェクトマネージメント/ライター。

credit

撮影:片岡杏子
supported by 豊岡市

【その1:豊岡市ってどんなまち? はこちら】

いなか暮らしをしながら、手に職をつけたい

鞄職人の中野ヨシタカさんが、神戸市から豊岡市へ移住したのは、1996年のこと。
神戸で、奥様とのふたり暮らしでサラリーマンとして働いていた中野さんは、
「いなかでものづくりをしながら暮らし、自然が豊かな環境で子育てをしたい」
という漠然とした思いを持つようになっていったという。
「どうしようかと考えていた時期に、阪神・淡路大震災(1995年)が起きました。
震災が、移住しようという気持ちにスイッチを入れたんです」

では、なぜ豊岡だったのか?

「見知った土地であったことがまず大きかったですね。
学生時代、竹野海岸に海水浴に来たり、神鍋高原でスキーをしたり、
城崎温泉にも友だちと遊びに来ていました。
それと、実家のある神戸からの距離感。
ほどよく近くて、ほどよく遠い。
豊岡が持つ、まちとしてのイメージも、ちょうどいい“いなか感”でした」

中野さんが最初にしたことは、当然、仕事探し。
いずれ“職人”として生計を立てていきたいと思っていた中野さんが選んだ仕事は、
豊岡のとなり町、養父市八鹿町にある和菓子屋さんだった。
奥様とアパートに暮らし、見習いとして働き始めた。

和菓子職人の仕事は、充実はしていたが、
行事・祭事に繁忙期を迎える職業ゆえ、
世間が休みの時に忙しく、祝日・お盆・正月休みなどはもちろんない。

「子どもが生まれ、家族が増えていくなかで、
豊岡の豊かな自然の中で家族と暮らしを楽しみたいとか、
当然、休日の子どもの行事にも参加したいと思う。
でも、いまの仕事ではそれが難しいかもしれない。
家族のかたちに訪れた変化によって、
仕事、暮らし、子育てという、
移住を選んだ原点にもう一度立ち返るときが来たんです」

一念発起して飛び込んだ、鞄職人の世界

移住から5年が経った31歳、中野さんは転職を決意。
神戸に戻ることも一瞬頭をよぎったが、
豊岡での暮らしは捨てがたくなっていた。
次の仕事を選ぶ条件は、子育てのためにも休日がとれて、
そして、ものづくりができること。
家族を養うためには、事業の安定性や福利厚生も確かなところにしたかった。

仕事を探すなか、中野さんは
豊岡の地場産業である、鞄メーカーで働くことも選択肢のひとつと考えるようになる。
しかし、今から15年ほど前は、豊岡は鞄の産地であるものの、
ほとんどがOEM生産。いわば“黒子”として、鞄をつくるのが主流で、
〈豊岡鞄〉というブランドはまだない時代だった。

「あまり豊岡と鞄が結びついていなかったんです。
ところが、当時爆発的な人気ブランドの鞄が豊岡でつくられていた!
誰もが知っているブランドのものをつくれるのは、おもしろそうだなぁと」

そうして中野さんが門を叩いたのは、
1971年に創業し、業界では名の知れた〈株式会社 由利〉。
「当時社長だった由利総太郎さん(現会長)と由利昇三郎さん(現社長)にお会いしたら、
“君、おもしろいからおいで”と誘っていただいたんです」

鞄のエキスパートを養成する専門校〈Toyooka KABAN Artisan School〉。

こうして、中野さんの鞄職人としての歴史がスタート。
現在では〈豊岡鞄〉として全国区になり、
日本各地から職人を目指して豊岡へ移住してくることも少なくないが、
2000年当時は、移住して鞄の仕事につくという
中野さんのような存在は珍しかった。

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豊岡は、子育ての環境としてはどうですか?

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子どもたちがのびのびと育つ環境を求めて

ところで気になる、生活のこと。
移住や転職を実行に移す中野さんに、
奥様の反応はどのようなものだったのだろうか。

「“あなたがやりたいことがあるのなら、やってみたら?”と、
前向きに支えてくれましたが、彼女も見知らぬ土地で不安もあったはずです。
でも、地域の人間関係のつくられ方がほどよいのがここの特長と感じました。
出産のときも、子育てでも、ご近所の方々の支えがありがたかった」

住まいは、由利へ転職してから1年経った頃、
職場から車で15分ほどの辻地区に一軒家を購入。
地元の不動産屋さんに「古くてもいいから広い家」とお願いして、
見つかったのが、築80年ほどの現在のお住まい。
地域の人たちも、「若い家族が来てくれてうれしい!」と歓迎してくれた。
こうして、仕事も生活も一新し、理解ある家族と地域の人たちの支えもあって、
中野さんは鞄職人としてのキャリアをスタートさせる。

地道にコツコツと積み上げて手にした、鞄職人としてのキャリア

しかしここで問題が。
中野さんは企画や製造の部門を希望していたが、配属されたのは資材部門。

「会社も、僕がどんなもんかわからないですしね。
まずは、材料のことを勉強しろということなのだろうと、
業者さんと仲良くなっていろいろ教えてもらったり、
先輩の下で“鞄メーカーとはなんぞや”という基本から叩き込まれました」

入社して1年ほどが経った頃、ふと、
「鞄がつくりたくてここに入ったのに、いつまで資材部門にいるのだろう」
と思った中野さん。由利社長に直談判した。

「“僕、鞄をつくりたいので企画をやらせてください!”って率直にお願いしたんです。
そしたら、“やりたいならやってみろ、でも、だめだったら戻すからな!”
と由利さんはおっしゃって(笑)。無我夢中でやってみたら、
“なかなかセンスがある。見込みがあるから、そのまま企画で行け”
と言ってもらえて。それからは、企画道まっしぐらでした」
企画部門へ異動したのは32歳を過ぎてから。
「早く追いつかないと!」と必死だったと、中野さんは振り返る。

2005年〈豊岡鞄地域ブランド委員会〉が発足し、
翌年には〈豊岡鞄〉が地域ブランドとして商標登録され、
全国区になるきっかけとなる。
卸し業、メーカー、材料商がみんなでチームを組み、豊岡発の商品を企画し、
豊岡の力を世界に発信しようという取り組みが始まった。
東京の展示会に出展することが決まり、そのプロジェクトチームに、
〈株式会社 由利〉の代表として中野さんが抜擢された。

「業界としては〈豊岡鞄〉を盛り上げていくきっかけになり、
由利としてはそれを機に自社ブランドがスタートしたんです」

自社ブランド立ち上げのプロジェクトリーダーを任された中野さんにとっては、
ひとりの鞄職人としての意地をみせる機会となった。
メーカーとして、自分たちで発信して、世にないものを生み出したい。
「どんな商品をつくろうかと模索していたときに、ふと思いついたのが、
スケッチ用の鞄だったんです。
カメラ用や登山用の鞄、ゴルフバッグはたくさんあるのに、
スケッチ用のすてきな鞄はないなぁと思って。
絵を描いている人たちって感性もいいはずで、
持ちたい鞄がないと思っているんじゃないかな、と」

こうして生まれたのが、〈ARTPHERE(アートフィアー)〉。
機能を美しくつくる、という由利の得意分野、
そして中野さんが蓄積してきたノウハウを生かして、
スケッチをする人たち向けの専用鞄が2006年にリリースされたのだ。

中野さんが企画した〈ARTPHERE(アートフィアー)〉シリーズ。機能的だから、旅行などでも活躍しそう。写真提供:中野さん

さらに、「豊岡鞄をもっと外へ広めていきたい」と思った中野さん。

「豊岡で鞄をつくっていることを、一般の人はほとんど知らない。
それに、城崎は観光客がいっぱい来ているのに、
豊岡は素通りされるなんてもったいないと感じていたんです」

そんな想いから、ものづくりの楽しさと豊岡の鞄の魅力を伝える
ファクトリーショップ〈アトリエNUU〉を2008年にオープン。
ネーミングからコンセプトまですべて中野さんが手がけた店舗だ。

鞄の製作風景を見学できる、株式会社由利の直営ショップ〈アトリエNUU〉。

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そして独立へ!

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地場産業をもっと盛り上げたい! 使命感から、独立へ

鞄業界で働き始めて10年が経ち、新規ブランドや事業の立ち上げなど、
順調にキャリアを積んできた中野さん。
「仕事は大好きで力を入れるのは当然のこと。
けれど、家族との時間を大切にしたいし、
いずれは親の介護も必要になるかもしれない。
僕の移住の次のステップは、もう少し自分のペースで自由に働き暮らす、
独立というかたちなのかなと意識するようになったんです」

メイン通りの〈カバンストリート〉から徒歩1分の場所にできた、中野さんのアトリエ〈カバンツクリエーション〉。写真提供:中野さん

そして、大事なポイントがもうひとつ。
長い間お世話になった由利さんと豊岡に、お返しがしたい。
「〈由利〉でがんばったら、こんな風になれるんだ! ということを示したい。
そして、地場産業をもっと盛り上げたい」という、使命感に背中を押されたのだと言う。

「個人事業で、新規出店ってまだまだ少ないんです。
産地として注目され、高まる期待に応えたい! と、
僕の中でスイッチが入ったんです」

退職後は、アルチザンスクールの臨時講師をしながら、
独立の準備を進め、市の助成金も活用し、
2016年2月に念願の店舗併設のアトリエをオープン!

ゆるやかに受け入れてくれる地域性

紆余曲折も多いように見える中野さんの移住ライフだが、
ずっと心をとらえて離さなかったのは、
都会にはない “豊かさ”がある暮らしだった。

「自宅のまわりには水田が広がり、空気もいい。
コウノトリが飛んでいる様子を目にするとき、ここは本当に豊かだなと実感するんです。
神戸で生活していた頃は、会社から自宅まで往復3時間かけていたのが、
ここでは往復30分。買い物は市街地にスーパーもあり不便ではないし、
野菜はご近所の方が分けてくださる。
家に帰ると、玄関の前に野菜や果物が置いてあることもしばしばですね」

地区の運動会や文化祭への参加など、地域での活動もたくさんある。
もちろん時には、めんどうだ……と思うこともあると言うが、
「徐々に地域に慣れていってくれればいいし、畑をしたいなら道具を貸すよ」
と、地域の人たちがとてもゆるやかに中野家を受け入れてくれているのだそう。

また、3人のパパである中野さん。
「ついこの間も、近所のお年寄りが重い荷物を持っていたので、
中学生の息子が家まで運んであげたようです。
逆に、近所のおばあさんから息子宛にお電話があって。
“じゃがいもがたくさんあるから取りにおいで”と。
どうやら、息子のファンみたいなんです(笑)。
そんな環境のなかなので、子どもたちの育ち方は確実に違う気がする」
と目を細めて話してくれた。

「豊岡だと、子どもたちと神戸にもすぐ行くことができて、
都会の空気を吸う機会もある。そんな距離感もいいですよね」

独立後、最近の中野さんの買い物は、シーカヤック。
山の近くに住みながら、海でレジャーを楽しめるなんて、うらやましい限り。

念願のシーカヤックの前で。写真提供:中野さん

「竹野浜で乗りたいなぁと思って。
妻も但馬でミュージカルに舞台出演したり、
城崎国際アートセンターでコンテンポラリーダンスを楽しんでいる。
趣味や文化的な活動の選択肢が豊岡には多いから、順応しやすいんですね」

中野さんの店も言うなれば、豊岡にできた新たな拠点。
どんどんおもしろい動きが生まれそうだ。
これからお店の成長とともに、中野さんがどんな生き方を展開していくのか
楽しみにしたい。

次回は、豊岡市の移住への取り組みについてです。

profile

YOSHITAKA NAKANO 
中野ヨシタカさん

カバンツクリエーション(http://kaban0203.com/)代表。結婚から2年後の1996年、神戸市から豊岡市へ移住。現在は、豊岡市辻地区の築80年の家に、家族5人暮らし。12歳、15歳、17歳の3人の子どものお父さん。

information

豊岡市移住促進プロジェクト〈TOYOOCOME(トヨオカム)!〉

information

移住促進メディア『雛形』では、3回にわたって「豊岡の教育」に関する記事をお届けしています。
地域の教育をより深く知りたい方は、こちらも併せてお楽しみください。
http://www.hinagata-mag.com/feature/toyooka

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