colocal コロカル マガジンハウス Local Network Magazine

連載の一覧 記事の検索・都道府県ごとの一覧
記事のカテゴリー

連載

北海道・中川町の新たな試み
ローカルベンチャースクールが開講

うちへおいでよ!
みんなでつくるエコビレッジ
vol.030

posted:2016.11.10   from:北海道岩見沢市  genre:暮らしと移住

〈 この連載・企画は… 〉  北海道にエコビレッジをつくりたい。そこにずっと住んでもいいし、ときどき遊びに来てもいい。
野菜を育ててみんなで食べ、あんまりお金を使わずに暮らす。そんな「新しい家族のカタチ」を探ります。

writer profile

Michiko Kurushima

來嶋路子

くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。
http://michikuru.com/

熱く語らう2日間。多彩な顔ぶれの講師陣が登場

岡山県西粟倉村で〈村楽エナジー〉という会社を営む井筒耕平さんに出会ったことは、
わたしにとって大きな出来事となった。
井筒さんは、ローカルベンチャー発祥の地とされる西粟倉村で、
バイオマスエネルギー供給やゲストハウスの運営などを行っており、
仕事のかたわら各地で精力的に講演会も開催している。

今年の9月、岩見沢の山間部にある東部丘陵地域の未来を考える
トークイベントにゲストとして井筒さんは訪ねてくれた。
ここで語られた話は、自分がこれからいかに地域と関わっていくのかを考えるうえで、
多くの示唆に富むものだった。

来年わたしは、東部丘陵地域の美流渡(みると)地区に移住を計画中なのだが、
井筒さんの話を聞いたおかげで、まず何から始めたらいいのか、
その道筋が見えたように思っている(いよいよ一歩を
踏み出そうとしているところ、詳しくは連載第27回)。

井筒さんとの出会いから1か月後、彼が再び北海道へやってくることを知った。
場所は道北に位置する中川町だ。人口は約1600人。
面積の87パーセントが森林ということもあり林業が盛んで、
そのほか畑作や酪農などが主な産業となっている。

ここで井筒さんは、中川町産業振興課と連携して、
9月より〈中川町ローカルベンチャースクール〉を開講している。
全5回が予定されており、第1回目に大手シンクタンクの
丸田哲也さんによる「中川町で起業するということ」をテーマにした
講座が行われ、今回は第2回目にあたる。

わたしが住んでいる岩見沢から中川町までは、車で3時間半ほどかかるが、
新たな人々との出会いの場になるのではと考え、参加することにした。
10月22、23日の2日間で行われたスクールの講師となったのは、
井筒さんとともに、彼が代表を務める村楽エナジーから、
スタッフである妻のもめさんと奥祐斉さん。
また中川町で酪農を営む丸藤英介さんも加わり、多彩な顔ぶれとなった。

左から、村楽エナジーの井筒もめさん、奥祐斉さん、井筒耕平さん。中川町で酪農を営む丸藤英介さん。自身がいま何を考え、どんな活動に取り組んでいるのかをそれぞれが語り、トータル7時間30分におよぶ講義となった。

次のページ
課題解決型ではないビジネススタイルとは?

Page 2

「課題解決型」よりも「需要創出型」ビジネスが、おもしろい!

ローカルベンチャースクールの口火を切ったのは井筒耕平さん。
「いまを生きる的経営」と題した講義では、
村楽エナジーでこれまでどのような取り組みを行ってきたかや
ローカルベンチャーに対する考えが語られた。
なかでも特に重要なポイントと言えるのが
「安易な課題設定が地域の自立力を削る」という考えだ。

例を挙げれば、スーパーなどが近くにない過疎地に住む高齢者に向けて、
買い物サービスの事業を起こすというケースがあるとする。
事業者は、その人たちを「買い物難民」であると考えているが、
実際には、我が子に定期的にまとめ買いを頼んだり、
保存食をつくったりなど工夫した生活を営んでおり、
一概に困っているとは言えないケースもあるという。

また継続的にサービスが行われていればよいが、補助金の支給がストップした時点で、
事業から撤退するということもありうる。
こうなると自立力を削られた人々は、窮地に立たされてしまうことになる。
井筒さんは、こうしたビジネスを「課題解決型」と呼んでいた。
そして、もしローカルベンチャーを始めるならば、
「課題解決型」よりも「需要創出型」が望ましいと考えていた。

「需要創出型」とは、第27回の連載でも触れたように、
西粟倉村でお酒好きが高じて酒屋をオープンさせた事例や、
油の魅力に取りつかれオリジナルの食用油の製造販売を行うようになった事例など、
「地域から求められてはいなかったけれど始めたケース」のことを言う。
井筒さんは、こうした「需要創出型」の小さなビジネスが集まることで
結果的に地域の課題が解決されていくのではないかと考えていた。

食用油の製造・販売を行う〈ablabo.〉は、大林由佳さんが始めた会社。小豆島を旅行した際に油のおいしさに目覚めてから油の研究に没頭し2015年に起業した。

上図は、西粟倉村に企業やお店が立ち上がることが
地域の課題解決をなぜ促すのかを示す図。
西粟倉村は、2008年より〈百年の森構想〉を掲げ、林業を産業の主軸にすえた。
そのため、まず木材加工業などの会社が起こり、
やがて自然発生的にサービス業も誕生していったという。

このサービス業が増えたことが次の展開につながった。
例えばレストランのシェフから、「地元の野菜を使いたい」や
「地元の家具を内装にとり入れたい」などの要望があがり、
地域の課題の「本丸」である農業や林業を盛り上げる機運が生まれ、
行政が動かざるを得ない状況がつくり出された。

「最初からローカルベンチャーで本丸の課題解決をするのは大変なこと。
自分の興味のあることから始まったベンチャーが、
やがてソーシャルベンチャーとなっていくほうが
真っ当なことだと僕は思っています」(井筒)

地域性を生かしたローカルベンチャーを考える

井筒さんに続いて登壇したのは、中川町で酪農を初めて8年になる丸藤英介さんだ。
北海道では、農業や畜産業などの第一次産業は、
仕事として具体化しやすい業種であることから、
丸藤さんの経験が語られることになった。

講義のテーマは「酪農経営の特徴と中期経営計画書」。
丸藤さんによると、酪農を始める場合、その初期投資額は、牛40頭ほどを飼育すると、
最低でも3000万、平均にして7000~8000万円がかかるという。
また、就農後も牧草地や施設の整備のために借り入れをする場合もあるため、
年間の返済計画を立てたり、収支やキャッシュフローが
どのくらいあるのかを知るうえで、「中期経営計画書」づくりは欠かせないという。

丸藤さんの牧場の面積は約60ヘクタールと広大で、これらの土地を有効活用した永続的な循環型放牧酪農が行われている。

こうした数字の話をすると、いかに儲けを増やすかが重要と思えるかもしれないが、
丸藤さんの考えはそうではない。
牛の数を増やし牛舎で飼う方法よりも、牛を一定期間放牧し、
輸入飼料にできるだけ頼らず、健康に育てることで持続可能な酪農を目指しているのだ。

講義のときに紹介された資料から。牛舎で牛を多数飼う場合と牛の数はさほど多くしないで放牧で飼う場合の利益の比較。放牧は飼料代が減り、また牛が健康に育つというメリットがあり、利益はさほど変わらないのではないかと丸藤さんは言う。

丸藤さんのように綿密に5年スパンで売上げの計画を立てるやり方は、
あえて将来の計画を立てず、状況によって計画をどんどん更新していきたいと語っていた
井筒さんの考えと、一見対照的なものに思える。

しかし、日々の作業のなかで丸藤さんは、牛をいつどの区画に放牧するのか、
牧草の生育具合いをつねに観察し、フレキシブルに場所を考えていくそうで、
状況に応じ柔軟に対応していく姿は井筒さんと重なる。
こうした判断が瞬時にできるようになるために、
丸藤さんはつねに自分の感覚を磨くことを怠らないという。

大切なのは、牧草がどのくらい伸びているのか、いつ肥料を散布するとよいか、
牛はどういう状態であれば健康なのか、これらを見極める観察力。
新規就農したものの継続できずに辞めていく人もいるなかで、
中期経営計画書という数字で将来を見る目と、
草や土、牛がどんな状態であるのかを現場で感じる力、
その両方を兼ね備えていることが、とても重要なことに気づかされた。

牛がちょうど食べやすい大きさに牧草を育て、よいタイミングのときに牛を放牧する。いくつかの区画に分けられた牧草地のローテーションをいかにうまく組めるかが大切。

搾乳の様子。丸藤さんの1年間の労働時間は3500時間にもおよぶそうだが、徐々に減らす努力をしているところ。夢は家族で海外旅行に行くこと。

次のページ
バックパッカー、そして子の親という経験を生かして

Page 3

ローカルベンチャーという言葉を超えて、自分の生き方を探る

ローカルベンチャー講座の2日目は、前日とは趣が異なるものとなった。
井筒さんや丸藤さんは、地域でいかに起業や就農をしていくのか、
具体的な数字や事例をもとに紹介してくれたが、2日目に登壇した
村楽エナジーのスタッフ、奥祐斉さんと井筒もめさんの話は、
より自分の体験に引き寄せたものとなった。

村楽エナジーで“参謀”という肩書きを持つ奥祐斉さんは、
現在25歳と若手だが、これまで積んだ経験の幅広さには驚かされた。
中学2年生のときに交通事故に遭い、左足を粉砕骨折。
全治8か月の重傷を負った後、学校に戻るがいじめに遭い、
非行に走ったり引きこもりとなった経験もある。

さまざまな紆余曲折のなか、大学1年生のときにタイへバックパッカーの旅に
出かけたことがきかっけになり、世界80か国をめぐる旅をした。
その後、就職活動もしたが、皆一様にスーツを来て仕事をすることに
画一化されたものを感じ、大学卒業後、JICA青年海外協力隊に参加することに。
西アフリカのベナン共和国へ派遣されたが、
ここでまた再び交通事故に遭遇し、任務を短縮して帰国。

「ぼくの人生は、心電図のように上がったり下がったり」と奥さん。
今年の6月より村楽エナジーの参謀となり、また東京のマーケティング会社で
バックパッカーの経験を生かしインバウンド(海外から日本へ来る観光客を指す)の
ディレクターとしても活躍しているという。

彼の破天荒な生き方と大きな挫折から復活するマインドは、
私たちの既成概念を崩してくれるようなエネルギーにあふれていた。

バックパッカーをしているときに子どもの写真を撮影するようになった。写真はシリアで出会った子ども。シリアの人々はホスピタリティにあふれ、大好きな国となったという。

マチュピチュ遺跡にて。旅をする中でつねに白地図を持ち歩いた。出会った人々に自分の名前を書いてもらい、80か国をめぐる頃には名前で地図は埋め尽くされた。

講義のテーマは「80か国の旅とアフリカで働いて感じたコト」。これまでも学生たちを前に自分の経歴を語る機会を設けてきた奥さん。画一的な考えとは違う生き方について語ると、学生たちの目は次第に輝き出すという。

続いて講義を行ったのは、村楽エナジーが運営するゲストハウス
〈あわくら温泉元湯〉のクリエイティブディレクターを務める井筒もめさんだ。
もめさんは、講義のなかで「実は、ローカルベンチャーという言葉に馴染めない」と
正直な気持ちを語ってくれた。

西粟倉村はローカルベンチャー発祥の地として脚光を浴び、
スターのように語られる人もいるが、そうしたキラキラとしたイメージよりも、
もっと「目立たずにじんわりとやっていきたい」と思っているのだそう。
そんなもめさんが、村楽エナジーが運営する、あわくら温泉元湯の
クリエイティブディレクターとなったのは、突然の出来事だったという。

あわくら温泉は、もとは1972年に開業し2011年に廃業した民宿で、
廃業以来、担い手がいないまま放置された状態だった。
あるとき、村内の温泉施設の薪ボイラー設置に携わっていた井筒耕平さんが
「誰もやらないなら自分たちでやろう」と決心したことで、
もめさんもこの仕事に関わることになった。

準備期間はわずか1年弱というタイトな計画のなかで、
当時3歳と1歳の子どもを抱えていたもめさんが考えたのは、
「子育て真っ盛りな当事者としてほしい場所をつくるしかない!」ということだった。

生まれたばかりの子どもを抱えながら、ゲストハウスのリノベーションを行うもめさん。

こうして考えたキーワードが「子どもの笑顔がまんなかにある大きな家」。
ようやく準備が整おうとする頃に、もめさんはブログにこう書き綴った。
「なによりも女将としてこだわっている部分は、
子どもというノイズを共有する空間をつくるということ」

もめさんは「ノイズ」という言葉を肯定的にとらえているという。
「ノイズを共有する空間」づくりの発想は、音楽家の大友良英さんの対談集で語られた、
「世の中は本来ノイズだらけなのに、文明がどんどんノイズをとっていって
“意味のある”もの、強いものだけが残っていくのは
つまらないことだし、実はとても脆いということ」
という言葉に共鳴したことによる。

もめさんのブログより。

「こどもばんだい」。訪れた子どもたちが必ず入る場所。アイスクリーム屋さんごっこなど、いろいろな遊びが生まれる。

2015年4月に元湯がオープンし、いま1年半が過ぎようとしている。
ゲストハウスには多くの宿泊客が集い、そこで出会った子どもたちが、
のびのびと遊ぶ場が生まれた。

元湯を通じて自分の考えを着実に実現しつつあるもめさんだが、
しかしその一方で、宿運営と子育てという
「尋常ではない葛藤を咀嚼する日々」を生きているという。

我が子がむずかる時間は、宿が一番忙しいとき。
また夏休みなど、一般の人たちが旅行を楽しむ時期も宿の繁忙期と重なる。
「子どもの笑顔がまんなか」という気持ちを持ちながらも、
現実には我が子を十分に構うことができなかったり、
ときには強く当たってしまうこともある。

この葛藤を咀嚼するために、もめさんは
「ほかのスタッフや近所の人、宿のお客様に
子どもを一緒に育ててもらってもいいのではないか」、
そんな風に考えるようにしているという。

「同時代を生きる老若男女がたまたま同じ瞬間の元湯に滞在し、お茶をすすりながら、温泉につかりながら、子どもたちをそれとなく見守っている」。もめさんは元湯がそんな場になればという想いを持ち、家の外にも人々が集える場をつくった。

脱衣所にベビーベッドが設置されている温泉施設はあるが、女湯だけの場合も多い。元湯では、男湯にもベビーベッドを設置。言葉で伝えずとも、子どもを歓迎する気持ちを表すための細やかな気遣いが随所にある。

しかし、「まだ宿運営と子育ての葛藤は未解決問題である」ともめさん。
それでも、「今日は子どもを怒らずにすんだ」
「子ども同士で遊べていい思い出になった」など、
やわらかな表情で帰っていく宿泊客の笑顔が励みとなる。

「最初にノイズと言いましたが、画一的にならずに、
子どものような多様な存在を受け入れる場所が必要だと思っているんです」(もめ)。

次のページ
今後も魅力的なラインナップ!

Page 4

講義が始まる前は、ローカルベンチャースクールという言葉から、
事業成功のためのノウハウを教えるビジネススクールのような場を想像していたのだが、
2日間の講義は、この予想を裏切るものだった。
特に奥さんの生い立ちや、もめさんが語ったローカルベンチャーの裏に隠された
リアルな実感は、スクールの内容から離れているのかもれないが、
いかに生きていくのかという本質的な部分を、
参加者に問いかける場になっていたように思う。

井筒さんは、スクールが現在スタートアップの段階であることから、
まずは場づくりを重視したという。
「同じ町内の人でも業種で固まってしまうことがあるので、
ここで人の交流が生まれ、お互いに何を考えているかを知ることで、
新しいビジネスが生まれるんじゃないかと思っています。
また『ローカルベンチャースクールはこうである』と決めつけずに、
いろいろな人の発言によってどんどん変化する場でありたいと考えています」(井筒)。

講座の最後に輪になり、今回の話の感想や次回までに
自分がやりたいと思っていることを話し合う場がもたれ、
そのとき会社勤めをしているという女性が、
「今回のみなさんの話が心に本当にズキュンときました。
あらためてわたしは何がやりたかったんだろうと思い、
自分が小さくなっていたことを感じました」と語っていた言葉が印象的だった。

会場を出る参加者の顔は皆、晴れやかだった。
玄関口では、仕事の話を熱く語り合う参加者の姿もあった。
そしてわたしも、なんともいえない温かな気持ちに包まれていた。
この気持ちを言葉に置き換えるのは難しいのだが、このスクールが、
何か新しいこと(それがビジネスなのかはわからないが)が生まれるという
期待感にあふれた場だったからかもしれない。

中川町ローカルベンチャースクールに参加したみなさん。次回の講義は11月10日に、エーゼロの牧大介さんによる「エーゼロが仕掛けるローカルベンチャースクールが目指す先」が開催となり、12月、2月と講座は継続中。

information

中川町ローカルベンチャースクール

リビングワールド 西村佳哲さん「さいはての地で働くということ」

開催日:2016年12月10日~12月11日

古川ちいきの総合研究所 古川大輔さん「マーケティング概論/地域経済入門」

開催日:2017年2月11日~2月12日

お問い合わせ:01656-7-2816(中川町役場産業振興課産業振興室 担当:高橋)

nakagawa-sangyo@mint.hokkai.net

Web:Facebook

Feature  特集記事&おすすめ記事

Tags  この記事のタグ