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連載

新しい人生を、離島で始める。
なぜわたしは〈さんごさん〉の
館長になったのか

福江島の小さな図書館〈さんごさん〉
vol.005

posted:2017.4.6  from:長崎県五島市  genre:暮らしと移住

〈 この連載・企画は… 〉  長崎の五島列島で一番大きな島、福江島。
ここに小さな私設図書館〈さんごさん〉がオープンしました。
島内外の人々が連携してつくった〈さんごさん〉はちょっと変わった図書館。
企画や設計、運営に携わるスタッフによるリレー形式の連載です。

writer profile

Kenta Oshima

大島健太

おおしまけんた⚫︎1981年神奈川生まれ。 多摩美術大学大学院情報デザイン領域修了後、神奈川県内の高校や都内の美術予備校で講師を務めたのち、約2年前に衝動的に仕事を辞めて無職になる。無職になってからはフィリピンに語学留学をしたり、アメリカやメキシコ、ロシア、ヨーロッパ諸国を旅しつつ、昨年の9月からさんごさんの館長として福江島で暮らし始める。いつまで五島で暮らすのかは未定。

こんにちは。
今回もさんごさん館長の大島が連載の担当をさせていただきます。

前回はさんごさんの「いま」というテーマで、館長としての仕事や、
さんごさんで開催されたワークショップを通じて、富江というまちを紹介させていただきました。
今回は「むかし」というテーマで、さんごさんができるちょっと前のことについて
書きたいと思います。

さんごさんがオープンするまでのことについては、
発起人である大来優さんと鳥巣智行さんが
この連載の第1回目「築80年の古民家を改築 私設図書館〈さんごさん〉の始まり」
に詳しく書いてくれているので、
ここではわたしがさんごさんの館長になるまでの経緯を中心に書いていきたいと思います。

さんごさんとはあまり関係がないところもあるかもしれませんが、
離島や地方への移住を考えていたり、
自分たちで新しく何かを始めたいと思っている人たちに対して、
少しでも参考になればと思っています。

いまとは違う人生の可能性を探すために

前回の冒頭にも書いたとおり、わたしは神奈川県の出身です。

大学や職場は東京だったものの、住まいはずっと神奈川県でした。
何度か引っ越しはしていますが、最近まで住んでいた家は駅から徒歩1分、
都心へのアクセスもよく、コンビニもすぐ目の前にあり、とても便利なところでした。

前職は美術大学受験予備校で講師をしていました。
新宿が勤務地で、比較的自由に時間が調整できたこともあり、
仕事のついでに買い物をすることも、映画を見ることも、美術館に行くこともできました。
仕事にはやりがいを感じていましたし、働いたお金で旅行をしたり、
好きなものを買ったりする生活はそれなりに楽しかったです。

とはいえ、非正規雇用であることの不安と、本当にこのままでいいのかという疑問は、
常に心の片隅にありました。このままじゃいけないと思いつつも、
具体的な行動が起こせないまま2年、3年……とあっという間に時間だけが過ぎていきました。

そうしているうちに勤務先の親会社が変わり、組織編成や待遇が変化していきました。
仕事は相変わらずおもしろかったけれども、待遇や人間関係で考えることが多くなりました。

結局のところ、自分がどれだけ会社のために仕事をしたところで、
会社が自分を守ってくれる保証はありません。
そして、いつまでその会社が存続するかもわからないのです。
自分がこれまで抱いてきた不安と疑問は、自分の生活を会社というものに預けている限り
解決しないのではないかと考えるようになりました。

自分が成長するためには
これまでの「なんとなく仕事があって、不自由はしない暮らし」を手放して、
もういちど自分の人生の可能性をゼロから探す必要がある。そう思って、仕事を辞めました。
そのとき33歳でした。

前職の経験を生かしてさんごさんでデッサン教室を開講した。デッサンに使用する道具の寄贈をSNSで募ったところ、美術大学時代の友人や、予備校で教えていた学生からたくさんの道具が届けられた。

留学で学んだこと

仕事を辞めたあとは、ずっと勉強したかった英語を学ぶためフィリピンへ語学留学をしました。
学生は社会人が中心の学校でした。英語もさることながら、
そこで出会った人たちから学んだことも大きかったです。

例えば多くの人が羨むような大企業で働き、
平均以上の収入を得ている人たちと数多く出会いましたが、
それでも彼らなりの不満や不安というのがあることがわかりました。

資産があり、必死に働かなくても生きていける人とも出会いました。
たしかに生活にゆとりはあるけれども、
彼は自分に何ができるのかという悩みを持っているようでした。

一方で、自分で会社を立ち上げたり、自分の技能で仕事をしている人たちは、
年齢に関係なく充実しているように見えたのです。

不安があったとしても、自分の力を信じて何かにチャレンジし続けることが、
一番人生を有意義にするのかもしれません。
これまでの人生のなかでチャレンジすることがなかったわたしには、
彼らの生き方がとても魅力的に見えました。

また、語学学校のフィリピン人の先生たちの中には、昼間は英語を教えつつ、
授業後はビジネスや留学のために勉強をしている人たちがいました。
お金はなくとも、目標があって努力をしているその姿に刺激を受けました。

そうした人々に囲まれながら、己の人生についても考えさせられる4か月間でした。

セブの語学学校で卒業スピーチの司会をしているときの写真。左は担当の先生。10歳年下の女性だったが、勤勉で頭が良かった。彼女は現在、ニュージーランドに留学している。

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そして、友人夫妻からさんごさん計画を聞いた

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さんごさん館長のオファーを引き受けるまで

留学から帰国したのが2015年の11月頃です。

このタイミングでさんごさんの発起人である大来 優さんから
「五島に古民家を改装した図書館をつくる」
「管理人が必要になるかもしれない」という話を聞きました。

ただ、この時はまだ本格的にその提案を考える時期ではありませんでした。
貯金にもまだ余裕があったので海外旅行を何度か繰り返し、無職生活を満喫していました。

留学や旅行で知り合った人たちが、その後さんごさんの活動に興味を持って「人生の3冊」を寄贈してくれることもある。この本は、ドイツの小さいホテルでたまたま知り合った、日本人で初めて「バレエ界のアカデミー賞」といわれるブノワ賞を受賞したダンサーの木田真理子さんが寄贈してくれたもの。

ちなみにこの期間に何社かに履歴書を送ってみたものの、採用までは至りませんでした。
そもそも履歴書を書いている自分が嫌で嫌でたまらなく、
再就職にも本腰を入れられないままでした。

できれば留学中に出会った人々のように自分で何かを始めたいとは思っていましたが、
何がしたいのか、何から始めていいのか、まったくわかりませんでした。

さて、そうやって働かずに遊んで暮らしていると、貯金も底が見えてきます。

そろそろ本格的に仕事を探さないとまずいなというタイミングで
「さんごさんで館長をやってほしい」という相談を本格的に大来さんと鳥巣さんから受けました。
2016年の夏ごろです。

それまで海外で暮らしたいと思ったことはあっても、東京以外の都市、
しかも一度も訪れたことがない九州の離島で暮らすなんて考えたこともありませんでした。
美術館や大型書店、雑貨や服の量販店が生活圏にない暮らしを送るなんて、
まったく想像できなかったのです。

それに、さんごさんの家賃や光熱費、車の維持費は負担してくれるという条件でしたが、
それ以外の食費や雑費に関しては別途なにかで稼ぐなりして
自分で捻出しなければなりませんでした。

もちろん断ることもできたのですが、一方ではおもしろそうな話でもありました。
離島で、しかも能作淳平さんという優れた建築家の方が設計した家に住めるなんて、
人生で二度とないチャンスです。東京と離島、どちらを選ぶのか。
2か月近くずっと迷っていました。

考えに考え続けて、最終的にさんごさんの館長を引き受けることにしました。

8月下旬に館長になることを正式に伝えて、
さんごさんの館長として福江島を訪れたのが9月の上旬でしたから、
本当にギリギリの返答でした。

退職前に蓄えていた貯金はほとんど尽きていたので、
当面の生活費はそれまで地道に積み立てていた保険を解約して捻出することにしました。
そもそもこの連載も、原稿料を生活費の足しにするつもりで
コロカルさんにメールを出したことがきっかけで始まったものです。

さんごさんプロジェクトに参加した理由

お金のことや将来のことなど、いろいろな不安はありました。
しかし、それでも、なぜさんごさんの館長になったかというと、発起人の大来さんと鳥巣さん、
この時点ではお会いしたことはありませんでしたが、
建築家の能作さんの価値観に少しでも近づきたかったからです。

大来さんも鳥巣さんも能作さんも、日本のみならず、
世界でも注目されるような仕事をしている人たちです。
そんな一流ともいえる人たちが、目先のお金にとらわれることなく、
新しいことにチャレンジしようとしている。
その感覚がどういうことなのか理解したいと思いました。

それまでのわたしの価値観でいえば、さんごさんプロジェクトのようなものは、
リスクが高すぎて「やらないのが一番賢い選択」だと思っていましたから、
彼らのような考え方は不思議でした。同時に、その考え方を理解しなければ、
自分の今後の人生を良い方向に変えることはできないと考えたのです。

また、大来さんをはじめ、
相談した周囲の人々が「館長の仕事、向いてそう」と言ってくれたことも後押しになりました。

自分の場合は何事に関しても慎重になりすぎるところと、
意固地になりやすくチャンスに乗れなかったことがあるとこれまでの人生で感じていました。
ならば逆に、周囲の人々の意見に素直に流されてみることで
人生に変化が訪れるかもしれないと期待したのです。

2月に東京ミッドタウン内にデザイン・ハブで行われていた「地域×デザイン展」トークイベントにさんごさんメンバーが登壇した際に撮影した集合写真。左から館長の大島、建築家の能作さん、発起人の大来さん、キーパーソンの有川智子さん、現地で施工をした石飛亮さん、もうひとりの発起人である鳥巣さん。結果的に、さんごさんに関わることでたくさんの知り合いができた。

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「人生3冊」について

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本に導かれて

さんごさんの財産はみなさんから寄贈していただいた人生の3冊です。
いつもみなさんから言われるのは「3冊を選びきれない」ということです。
本当に悩みますよね。

わたしも寄贈するにあたって、好きな本はたくさんあるのでずいぶん迷いました。
そしてせっかくさんごさんの館長をやらせていただいているので
「いま、なぜわたしがここにいるのか」というテーマで3冊を選ぶことにしました。
まさに人生の3冊です。

この機会に、わたしをさんごさんに導いたその3冊をご紹介したいと思います。

大学生の頃、印象に残ったページに付箋をつけながら読んでいた。同じ文章でもいま読み直すと違った印象を受けることが多い。

神話学の巨匠、ジョーゼフ・キャンベル と
ジャーナリスト、ビル・モイヤーズによる『神話の力』は、大学生のころに初めて読みました。
この本のなかで印象的な一節があります。
それは「雑魚をあさりながら実は鯨の背の上に乗っている」という、
ポリネシアの言い習わしです。

人生を歩むうえでは目の前に大小さまざまな問題が点在しているように見えるけれども、
内面に目を向ければ、ほかでもない自分こそがあらゆるものの源として存在している。
つまり自分自身こそがもっとも大きい問題、諸問題の根元だということです。

五島に行くかどうか迷っている時もこの言葉を何度か反芻し、
自分がいま本当に抱えている問題はなにかということを考えました。

ノーベル文学賞を受賞している大江健三郎の中期を代表する作品。それまでの流れを覆すようなラストシーンは、当時批判の対象となった。館長は実家に大江健三郎のサイン付きの本を何冊か所有するほどのファン。

大江健三郎の『個人的な体験』は、鳥(バード)と呼ばれる27歳の予備校講師が主人公です。
彼は妊娠中の妻がいながらアフリカに行くことを夢見ていて、
どこか地に足がつかないところがある。
そんな折、生まれたばかりの子どもは脳に障がいが持っていることが発覚する……
という内容です。

物語は鳥(バード)が我が子を見棄て、妻と離婚し、
愛人とアフリカに行くかのようにクライマックスを迎えます。
しかし、ラストシーンはそれまでの暗い沈鬱な雰囲気を覆し、
厚い雲の間から差し込んだ光のような希望を予感させて終わります。

これは人生のなかで何度か読み直している数少ない小説です。
絶望と苦悩の末に鳥(バード)が現実を受け入れる選択をし、
モラトリアムと決別するところにわたしは読むたびに救われます。

こいでたく『ダブルゼータくんここにあり』は、わたしが小学生のころに読んでいた漫画です。
前半は主人公であるダブルゼータくんたちの日常をほのぼのと描いているのですが、
後半になるとちらっと戦争の話が出てきたり、
登場人物たちが自分の大切なものについて考える話になってきます。

ダブルゼータくんはある時から
「ぐもらごもも」という謎の生物が出てくる悪夢を見るようになります。
そして病院に行きますがお医者さんからは「治療できない」と言われてしまいます。
お医者さんは「ぐもらごもも」は「化け物のようにみえるけれど、すごく大事なものだ」
とダブルゼータくんに助言をし、
最後にダブルゼータくんは自分が何をしたいかを見つける旅に出発するところで
お話が終わります。

主人公のダブルゼータくんが、繰り返し夢に出てくる「ぐもらごもも」について考えるシーン。将来画家になるか、学校の先生になるか、自分がなにをしたいのかを考えている。

わたしが初めてこの漫画を読んでから20年以上の月日が経ち、
決してもう若くはない年齢になってしまいましたが、
ダブルゼータくんのように「ぐもらごもも」の正体を
いまもずっと探し続けているのかもしれません。

実際のところ、これらの本を含めて、
これまでの読書体験がどれだけわたしの人生に影響を及ぼしたかを証明することはできません。
ただ、人生で選択を迫られた時にはいつもこれらの本のことが思い浮かびます。
そして後から読み返してみたとき、
まるでその本が自分の人生を予期していたかのように思えるときがあるのです。

現在「人生の3冊」はどなたからでも受け付けておりますので、
詳しくはさんごさんのウェブサイトをご覧ください。

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さんごさんの前の住人とは?

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さんごさんの「むかし」

最後に〈さんごさん〉の昔についても触れさせていただきます。

さんごさんが築80年の古民家だということはすでにお話した通りですが、
もともとこの家を所有していた男性の、
実の姉に当たるOさんという女性が富江に住んでいます。

Oさんとは近所のスーパーマーケットでばったり会うときもあれば、お宅に招かれてお話をする場合もある。この写真は買い物のついでにさんごさんに寄ってくれたときのもの。

Oさんはお母様の実家がある長崎で生まれ、
小学校を卒業するまで富江で暮らしていたとのことです。
東京の大学を卒業したあとは出版社に勤め、30代後半で仕事を辞めたあとは、
アメリカに留学をし、世界一周旅行をして帰国されたそうです。
そうして帰国後は研究者として活躍され、6年前に富江にUターンしてきました。

Oさんのお宅の本棚。本は五島へ引っ越す際に「ほとんど処分した」というが、現在でも数多くの貴重な本が並んでいる。

現在さんごさんと呼ばれているこの家に、かつてOさんは暮らしていました。
床の間には骨董品が並べられ、その傍らに置いた蓄音機では
ロッシーニ作曲の『ウィリアム・テル序曲』やシャリアピンの歌った『蚤の歌』といった曲を
よく聴いていたそうです。

当時のつくりを残しているさんごさんの和室。かつてここには骨董品や手巻きの蓄音機が置かれていたという。

そのほかにも、この地域には誰が住んでいたとか、
過去にこの土地でどういうできごとがあったかということについても、
まるで映画を見ているかのように詳細に教えてくれるのです。

わたしがこれまでの暮らしてきた場所では、かつて誰がそこに暮らし、
どういう歴史があったかということについて考えたことはまったくありませんでしたし、
知る機会もありませんでした。

しかしさんごさんで暮らし始めてから、地域に刻み込まれた歴史と人々の記憶は、
この土地に暮らすうえで無視できないことだと感じるようになりました。

幼いころのOさんと、Oさんのお父様。写真は長崎市籠町にあった母の実家の前の小公園で撮影されたもの。

こうした「むかし」が、さんごさんの「いま」につながっていきます。

思い切ってそれまでの仕事を辞め、流されるままに離島で暮らし始めたことで、
これまで想像もしなかった人生を発見することができました。

今後のわたしの人生がどうなるかはわかりませんが、
あのまま東京でなんとなく再就職をするよりもユニークな人生になったと思います。
お金や仕事のことで心配はあったとしても、
直感的に自分が「おもしろい」と思う方向に進んだことは、
いまのところ間違ってなかったと思います。

次回は「これから」です。
5月からの2期工事を目前に控えたさんごさんが、
今後どのような場所を目指していくか書きたいと思います。

information

map

さんごさん

住所:長崎県五島市富江町富江280-4

サイト:http://sangosan.net/

facebook:http://www.facebook.com/sangosan/

Instagram:http://www.instagram.com/353sangosan/

twitter:http://twitter.com/353sangosan

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