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サブの家

児島元浜町昼下がり
vol.008

posted:2014.9.25   from:岡山県倉敷市  genre:暮らしと移住

〈 この連載・企画は… 〉  コロカル伝説の連載と言われる『マチスタ・ラプソディー』の赤星豊が連載を再開。
地方都市で暮らすひとりの男が、日々営む暮らしの風景とその実感。
ローカルで生きることの、ささやかだけれど大切ななにかが見えてくる。

editor’s profile

Yutaka Akahoshi

赤星 豊

あかほし・ゆたか●広島県福山市生まれ。現在、倉敷在住。アジアンビーハイブ代表。フリーマガジン『Krash japan』『風と海とジーンズ。』編集長。

いまとなってはこの話をどこから始めればよいのか難しいところではあるのだが、
シンプルに起承転結を考えたら「起」の部分がサブであったことは間違いないと思う。
発端は今年の1月、元浜倉庫の隣にあるアパートの住人から
「サブが夜中に吠えている」という苦情があった。
ひどいときはぶっ続けで3時間ほど吠えまくっているらしい。
アパートでは睡眠不足になっている人もいるとか。
まるで『マルテの手記』に出てくる老侍従である。
村の誰もが敬愛していた侍従が、
その死に際して十週間も夜中に吠え続けて村中を恐怖に陥れるという。
そんなことになったら、この連載の悠長な『昼下がり』のタイトルにも
偽りが生じてしまう。早速、その日からあれやこれやの対策が始まった。
最初は「夜寒いんじゃないか?」というので
ナンバ(近所のホームセンター)で電気アンカを買って毛布に仕込んだところ、
翌朝、蹴飛ばされてコンクリートの床に転がっていた。
ユウコさんが湯たんぽを用意してくれたこともあったが結果は似たりよったり。
「おなかが空いているのでは?」というので
餌やりの回数を変えたり餌の量を変えたりもした。
結局、夜に事務所の蛍光灯をつけっぱなしにし、
さらにラジオをかけたままにしておくことで一応の決着を見た。
そのおかげなのか偶然なのか、サブの夜泣きはおさまったようだった。
この「蛍光灯とラジオのつけっぱなし作戦」は、
効果のほどはよくわからないまま現在も継続中である。
でも、ぼくは夜泣きの原因に関しては、いまでは確信めいたものがある。
つまるところ、サブは寂しいのだ。

サブがこの元浜町に住み着いたのは2010年のこと。
気がつくと、元浜倉庫の隣のアパートに
おまけのように付いているようなトタンの倉庫を寝ぐらにしていた。
サブは正真正銘の野犬だった。
野犬自体、児島ではそれほど珍しいものじゃないのだが、
ほかの野犬と違って徒党を組まず、いつも一匹狼だった。
サブは薄汚れた、よぼよぼの老犬だった。走っている姿を見たことがなかった。
吠えもせず唸るようなこともせず、いつも困ったような顔をしてとぼとぼと歩いていた。
そんなおとなしい犬なものだから、野犬とはいえ誰も追い払おうとはせず、
元浜町界隈ではいわば黙認していた。
アパートの住人とかアパートの向かいのおばちゃんとか、いろんな人が餌をやっていた。
かくいうぼくもそのひとりで、サブが元浜倉庫の前を通ると、
「サブ!」と名前を呼んで、プラスチックのボールに入れた餌を差し出していた。
そんなときのサブはというと、餌を見て走って寄ってくるようなことは絶対にしない。
大抵、困ったような顔でしばらくぼくの顔を見つめてから、
おもむろに「食ってやるか」とでも言いたげな表情で重い足取りをこちらに向ける。
当然、餌を食べ終わったら無言で立ち去る。
野犬の矜持とでもいおうか、媚びることが一切ない。
カラダは触らせないし、頭も撫でさせない。
かわいげというものがまったくないからこっちも触りたいとも思わなかった。
それでも一度だけ、サブがぼくに少しなついていると思えるようなことがあった。
冬の夕暮れ時、ぼくが倉庫の鍵を閉めて、駅まで歩いて帰ろうとしたときのことだ。
倉庫を出てすぐの港で、暗がりのなか、向こうから歩いてくるサブとすれ違った。
「サブ、じゃあな!」と声をかけてそばを通り過ぎた。
しばらくして、ふと振り返るとすぐそこにサブがいた。
いつものとぼとぼしょぼい足取りでついてきていた。
「サブ、来るな! 帰れ!」
少々きつめに言っても、立ち止まるだけで帰ろうとしない。
そんなことを何回かやっているうちに駅のそばまでやって来た。
このままだと片側二車線の広い道路を渡ることになるので、威嚇して追い返そうとした。
サブはただでさえ困ったような顔をなお困り顔にしてまっすぐぼくを見ていた。
ぼくはその間に逃げるようにして道路を渡った。サブはもうついてこなかった。
でも、あの真っ黒な悲しそうな目が焼きついて、こっちまでしばらくずんと悲しかった。

サブを元浜倉庫で飼うようになったのは2011年の5月だった。
その日、近所に住んでいる小学生の女の子が、
サブと鉢合わせしたかなにかで驚いて走って逃げようとした。
そこで彼女は転倒してしまい、歯を折ってしまった。
その話を近所のおばちゃんから聞いて2時間も経たないうちに、
その親御さんが夫婦そろって元浜倉庫にやって来た。
ぼくは餌をやっていたという手前、申し訳ないという気持ちがあった。
それ以上に、ちょうどチコリが生まれたばかりというのもあって、
彼らの気持ちは察するにあまりあるものがあった。
サブがうちの犬だという彼らの言い分には承諾しかねたが、
反論はせず、謝罪した。ぼくに責任の一旦があるのは事実だった。
そして彼らの要求をのんで、その場でぼくがサブを飼うと約束した。
その夜からだ、サブがうちの犬になったのは。

最初の2年はひどいものだった。元浜倉庫にやってくる人には誰彼かまわず吠えたてた。
毎日のようにお昼を食べにやって来る縫子のフジタくんでさえ、
ほぼまるまる2年の間、律儀なまでに毎回吠えたり唸ったりした。
3年目にしてようやくである。何が変わったといって、サブの顔つきだ。
陰な部分が消えて、表情がやわらかくなった。振る舞いも別犬のようである。
いまでは人に触らせるどころか、犬好きの人に対してはいとも簡単におなかを見せる。
これはチコリの貢献度が大きいんだけど、
あれほど嫌いで逃げ回っていた子どもに対しても
自分から寄って行って顔を嘗めようとする。
元浜倉庫焙煎所のお客さんたちにもかわいがられていて、
ちょっとしたマスコット的存在だ。
サブが夜中に吠えるようになったのは、こうしたサブの変貌ぶりとは無縁じゃない。
思うに、「里ごころ」ならぬ「人ごころ」がついてしまった。
そんなサブの人生を思うと少々不憫ではある。
いまはすこぶる元気とはいえ、残された寿命もそう長くもないし……。
「サブのために一軒家を借りるか」
こうして展開はようやく起承転結の「承」に入る。

ここで何度か書いてきたが、ぼくは早島という町でアパート暮らしをしている。
典型的な子育て世代のアパートなのでペットの類は禁止。
しからば、サブを飼える環境を手に入れようということで
「一軒家を借りる」という案にたどり着いた。
しかし、この「承」はほとんど間を置くことなく「転」へと移る。
「いっそのこと買ってみるか、家を」
このあたりの無茶な展開も、ぼくの人生においてはそんなに無茶でもない。
家族の後押しがあったことも大きい。
タカコさんは「家を買う」と言ったその日から、
「買おう、買おう!」と元クラバーらしいノリで積極的に応援してくれている。
しかし、一番大きかったのはうちに出入りしている信用金庫のMクンのバックアップだ。
「あのさ、1000万円ぐらい貸してみてくれないかな?」
ダメもとで聞いてみた。
「なにを買うんですか?」
「うん、ちょっと家をね」
Mクンの反応はまったく予想外のものだった。
「大丈夫だと思いますよ」
「え、マジで? 貯金も担保もなんもないんだよ」
「買おうとする物件を担保に入れて借りるんですよ」
そう言って、Mクンはその日のうちにアジアンビーハイブの決算書をもって帰った。
そして数日後、淡々とした顔で「オッケーです」。
実は「借りる」から「買う」に転じた背景には、ある一戸建ての中古物件の存在があった。
たまたまその家が1000万円で売りに出ていたことを知り、
そこで初めて「買う」という発想が生まれたわけだ。
とはいえ、これまでの人生で家を買うなんてことは考えたこともなかったので、
「家を買う」とは口にしていても感覚的にはまったくリアルではなかった。
でも、Mクンのこのひと言で家の購入がぐっと現実感をともなってきた。
あの家だったら、山に囲まれているからサブなんて離し飼いにしてやれるかもしれない。
チコリとツツにもそれぞれ広い部屋をあてがってやれるし、
ぼくの趣味にできそうな手入れのしがいがある広い庭もある。と、
そんなあれこれを夢見ながら、いよいよ不動産屋との家の内見の日を迎えた。
外からは何度となく見に行っていた。
建築士の友人を連れて行って、基礎の部分を見てもらったりもしていた。
ぼくはもうその日にはすっかり買う気になっていて、
帰りに不動産屋と契約を交わすような勢いだった。
前を行く不動産屋さんの車が件の家の前で停まり、
ぼくはその後ろに車をつけて車から降りた。
タカコさんも子どもたちと一緒にはしゃぎながら車を降りてきた。
さあ、いよいよだ。ぼくたちの高揚感はマックスにあった。
その朝初めて会った年配の不動産屋さんがぼくたちの方に向かって歩いてきた。
手には封筒やら資料やらが束になっている。
当然、流れは「さあ、それじゃあ行きましょうか」と家の玄関に回って、
となるはずだった。ところが……。
「あのね、この物件、実は昨日契約がまとまったんですよ」
「………」
しばし、唖然。言葉もなにも出やしない。
「おすすめの物件がいくつかありますから、そちらに行きましょうか」
自分でも意外なほどの落胆ぶりだった。怒る気力さえないような。
「はあ、今日はもういいです……ぼくら帰ります」
「ああ、そうですか。わかりました。じゃあここで」
ひと言謝るでもなく、不動産屋はそそくさと帰って行った。
あのときまともな精神状態であれば、
「じゃあここで」と言って背中を向けたその背中に飛び蹴りを食らわしたうえに
池に蹴落としてやれたのにといまだに思う。
ともあれ、ぼくの生涯初の、そして最後かもしれないマイホーム購入計画は
こうして幕を閉じた————いや、幕を閉ろしちゃいけないのだ。
サブの問題は依然としてそのまま残っている。
いまのアパートではチコリとツツに子供部屋をあてがってやれないという、
サブの問題から浮上したとは思えない深刻な課題も露呈していた。

この話にはさらに先がある。
現段階、展開は「結」に近づきつつあるような近づいていないような。
その話はまた回をあらためてということで。

10月初旬発行の『風と海とジーンズ。』(児島商工会議所発行)、ファッションページにサブが登場してます。サブの存在によって「ローカルのファッション」を見事に体現できたのではないかと。それにしてもいい顔してるぞ、サブ!(写真/池田理寛)

Information

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