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児島元浜町昼下がり
vol.006

posted:2014.8.1   from:岡山県倉敷市  genre:暮らしと移住

〈 この連載・企画は… 〉  コロカル伝説の連載と言われる『マチスタ・ラプソディー』の赤星豊が連載を再開。
地方都市で暮らすひとりの男が、日々営む暮らしの風景とその実感。
ローカルで生きることの、ささやかだけれど大切ななにかが見えてくる。

editor’s profile

Yutaka Akahoshi

赤星 豊

あかほし・ゆたか●広島県福山市生まれ。現在、倉敷在住。アジアンビーハイブ代表。フリーマガジン『Krash japan』『風と海とジーンズ。』編集長。

隣のアパートに、見た目絵に描いたようなヤンママがいる。
上の男の子がチコリの保育園のクラスメートとあって、
彼女の母親ぶりを目にする機会は少なくないのだが、
これが実によくできたお母さんで、日頃から感心して眺めることしきりなのである。
もちろん、顔を合わせればあいさつもするし話もする。
でも話題はまず子どものことで、
付き合って1年以上になってもプライベートな話は一切したことがなかった。
つい先日のことだ。夕方、アパートの前でチコリを遊ばせていたら、
そこに保育園から帰って来たばかりの例のヤンママと兄妹が加わった。
自然、ぼくと彼女は一緒に遊ぶ子どもたちを見守りながらの立ち話となった。
夏の夕暮れどき、昼と夜がじゃれ合うようなそんな時間帯のせいもあったと思う。
お互いにいつもよりもくつろいだような親しい感じがあって、
その質問も唐突なタイミングで降ってきた。
「チコリちゃんパパはヤキンですか?」
わけがわからなかった。唐突だし、チコリちゃんパパなんて呼ばれたのは初めてだったし、
それにヤキンがなんのことやらわからない。……冶金?
「……ヤキンって?」
「いや、いつもチコリちゃんの保育園の送り迎えをしてるじゃないですか。
それに普通に仕事してるようにないし」
野禽とも思ったが、ここは夜勤が本筋だろう。
ぼくが住んでいる早島は水島工業地帯の通勤圏なので、
夜勤や三交代で働く人は少なからずいる。
「広告を作ってるんです、児島で。労働時間はちょっと短めかな」
「そうだったんですか。いつも『なにやってる人だろう?』って思ってたんですよ。
これで謎が解けた!」
本当に「謎が解けました」という顔で彼女は気持ちよさそうに笑った。
ぼくの仕事の話はそれでおしまい。
でも、「広告を作っている」という説明だけで彼女がぼくをどう理解したのか、
いまいちよくわからないでいる。

元浜倉庫が開業して5年、元浜町界隈でもこれまでずっと謎の存在だったと思う。
小さな看板を掲げてはいるけど、社名を記してあるだけなので
なにをやっているのかさっぱりわからない。
生業を示すヒントがなく、
結果、なにやらうさん臭いと思われ続けていたのがこれまでの元浜倉庫だった。
今年の春に焙煎所がスタートしてからは、少しは風通しがよくなった。
少なくとも、コーヒーを買ってくれる近所のお客さんには、タカコさんが一言、
「奥の事務所では広告を作っているんです」と説明してくれている。
これで少しは怪しさも薄まってくれることを望んでいるんだけど、
人口7万人のこの小さな町では
「広告制作」という素性がさらにうさん臭さを増している可能性も否定できない。

なぜに広告制作なのかという話である。もともと広告は本業じゃない。
東京では15年以上フリーランスのライター・編集者として雑誌に携わってきた。
倉敷というローカルをテーマにした『Krash japan』というマガジンも
そのキャリアの延長線上にある。
この雑誌の発行を重ねるごとに地元の企業から広告制作のオファーが舞い込むようになり、
また縁あって新卒の女子を社員雇用し
デザイナーとして育てるというミッションを背負い込んだものだから、
広告制作を本業とするデザイン事務所に舵を定めざるをえなくなった、
というのがざっくりこれまでの仕事の経緯だ。
こうして5年ほど広告を専業でやってきたわけだけど、
広告が自分に合っているのかどうかはよくわからないでいる。
そもそもライターが合っていたのかどうかもわからない。
どちらもなりたくてなった職というわけじゃないのだ。
岡山市内で始めたコーヒースタンドもまさにそれで、
思えばどれもこれも巡り合わせや流れでそうなった。
これと自分が決めた職に就いて生涯を生きる覚悟をもっている人、
たしかにいる。同業者のなかにもたくさんいるし、
人間そうあるべきなのかもしれない。でも、現実、ぼくのような人間もいる。

つい先日のこと。会社の印鑑証明書をもらうために倉敷の法務局へと車を走らせていた。
前の週末に梅雨が明け、陽射しはトップギアに入った夏のそれだった。
敷き詰めた絨毯のような田圃の緑がまぶしい。気温は35℃くらいあったと思う。
それでも20年以上もエアコンの効かない車に乗っていたくせで、
ぼくは窓を全開にしてビュンビュン車を飛ばしていた。
そのときプリンスの曲がかかっていたのを憶えている。
ぼくは法務局の近くにあるケーキ屋さんのことを考えていた。
タカコさんが朝から熱を出して家で寝ているのでケーキでも買って帰ってあげようと。
そしてぼくのあてのない思考は、
タカコさんが6月のぼくの誕生日に買ってきたケーキにたどり着く。
それはホールサイズのバースデイケーキでベースはモンブランだった。
なぜにモンブランだったんだろう? 
彼女は知らなかったのか、ぼくはもともとモンブランが好きじゃないのだ。
そこで、ぼくはなぜモンブランが好きじゃないのかを人生で初めて考えてみた。
栗はまずまずの好物なのにモンブランが苦手。
……食感だ。食感がなくなると、途端に信用度が失墜するような感じ。
同じような例に思い当たった。つぶ餡は好きなんだけど、こし餡になるとまったくダメ。
赤福はあんの部分をへらで削ぐようにきれいに落としてから
おもちだけ食べる、といった具合だ。
そういえば、昔からかまぼこも好きじゃない……。
車中の気温は30℃台後半、聞こえるのは暑苦しいプリンスの曲。
つつと頬を伝い落ちる汗を首にかけたタオルで拭いながらその瞬間を迎えた。

(もしや、オレは加工ものが好きじゃないのか。
それも原型をまったく留めず、均一にならしたものが……)

車のなかというのは思考を巡らせるのにもってこいの空間である。
ぼくもこれまで車中いろいろな類の晴天の霹靂を迎えたが、
この「加工ものが好きじゃない」くらい見事なヤツは記憶にない。
人間、半世紀も生きていればなんでもわかっているような気になっている。
でも、案外わかってないものなのだ。とくに自分自身のことというのは。

去年の夏に先述の女の子の社員が辞め、またひとりになった。
仕事を見直すよい機会だった。もうデザイン事務所に固執することはないのだ。
そして、これまで長く断ってきていた執筆の仕事を受けることに決めた。
しかし、そう決めましたと公言する場所もなく、営業活動もまったくしないものだから、
ライター業を再開したことはいまもってほとんど誰にも知られていない。
しかし不思議なもので、今年に入って昔の友人から
「もしかしたら書いてくれたりする?」という控えめなオファーがあり、
東京の不動産系の会報誌のなかでほぼ定期的に旅ものの記事を書いている。
振り返ってこの手の仕事運にはこれまでも相当恵まれている部分があって、
ついこの間もまったく縁のなかった女性誌からオファーがあり、
近々取材に入ることになっている。

最後になったが、途中はさみこんだ青天の霹靂エピソードが
この回の話にどう関係しているのかよくわからないと言われるかもしれない。
おっしゃる通り。筆者としては、そこは深く考えないでいただけたらなと。
ぼくの仕事の話なんか人に聞かせるような話題でもないし、
だいたいこの回自体、豆腐がこんにゃくで書いたようなよくわからない話なので。

元浜倉庫の一角、コンクリートとブロック塀との間にあるわずか数センチの土の部分が天然のボタニカル園に。桐は年々デカくなり、テッポウユリは今年も大きな花をつけた。大家さんによると、住んでいる人の「気」が良くないとこうした植物は育たないのだとか。

近々の広告の仕事から、倉敷にある自動車教習所の2連ポスター。北欧チックなデザインと70年代ソウル風の両方のアプローチでビジュアルを制作し、結局前者で落ち着いた。アートディレクションとデザイン、コピーをぼくが担当。写真は岡山で活躍する池田理寛クン。なんだかんだいって、広告づくりは結構好きだな。

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