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連載

〈真鶴町立中川一政美術館〉に
「生命(いのち)の画家」
中川一政を訪ねて

真鶴半島イトナミ美術館
作品No.001|Page 1

posted:2016.10.17  from:神奈川県足柄下郡真鶴町  genre:アート・デザイン・建築

sponsored by 真鶴町

〈 この連載・企画は… 〉  神奈川県の西、相模湾に浮かぶ真鶴半島。
ここにあるのが〈真鶴半島イトナミ美術館〉。といっても、かたちある美術館ではありません。
真鶴の人たちが大切にしているものや、地元の人と移住者がともに紡いでいく「ストーリー」、
真鶴でこだわりのものづくりをする「町民アーティスト」、それらをすべて「作品」と捉え、
真鶴半島をまるごと美術館に見立て発信していきます。真鶴半島イトナミ美術館へ、ようこそ。

editor profile

Ichico Enomoto

榎本市子

えのもと・いちこ●エディター/ライター。コロカル編集部員。東京都国分寺市出身。テレビ誌編集を経て、映画、美術、カルチャーを中心に編集・執筆。出張や旅行ではその土地のおいしいものを食べるのが何よりも楽しみ。

photographer profile

MOTOKO

「地域と写真」をテーマに、滋賀県、長崎県、香川県小豆島町など、日本各地での写真におけるまちづくりの活動を行う。フォトグラファーという職業を超え、真鶴半島イトナミ美術館のキュレーターとして町の魅力を発掘していく役割も担う。

credit

Supported by 真鶴町

「生命(いのち)の画家」として

中川一政の作品と対峙してみる。
その大きくて迫力ある画面に目をこらしてみると、
キャンバスに叩きつけたかのような筆跡のひとつひとつに、
彼自身の魂が込められていることに気づく。
それは己の心の中に湧き上がる感動に突き動かされ、自然と筆が動いた結果なのだ。
彼の作品は、芸術とは、画家自身の生き様そのものを
全体重をかけてつくりあげるものだということを物語っている。
こんな画家はほかに例を見ない。

真鶴半島自然公園に隣接する緑豊かな場所にある〈真鶴町立中川一政美術館〉。
日本を代表する洋画家である中川一政の作品を常設展示する美術館だ。

1893年(明治26年)に東京で生まれた一政は、
その後1949年に真鶴にアトリエを構え、
1991年に97歳11か月で亡くなるまで真鶴で絵を描き続けた。
その作品は油絵のみならず、日本画、書、陶芸など多岐にわたり、
美術館ではそれら650点余りを所蔵している。

一政は岸田劉生(1891~1929年)とほぼ同世代。
21歳のときに岸田に認められて本格的に画家を志し、
岸田や数人の仲間たちと〈草土社〉を結成して美術展を行うなど、
日本の洋画壇を牽引してきた存在だ。
随筆も多く執筆するほか歌も詠み、1961年には歌会始の召人に選出されて歌を詠進。
1975年には文化勲章も受章している。

と、そんな略歴を見ると、はるか雲の上の人のように思えるが、
一政と晩年の21年間をともに過ごし、現在は美術館の指導員を務める
佐々木正俊さんの話からは、すばらしい芸術家である一政が、
人としてもあたたかく魅力的な人だったことがうかがえる。

『福浦』1961年(写真提供:中川一政美術館)

修善寺に向かう途中に真鶴の風景に出会い、
この地を気に入った一政は、1949年に真鶴に家を買い、
それからは真鶴半島の付け根にある福浦の港を好んで描き続けた。
その頃はまだ東京の自宅兼アトリエと真鶴を往復する日々だったようだが、
1970年からは真鶴に住みながら箱根の風景を描き始める。
そのときに東京から呼び寄せられたのが佐々木さん。
以来、箱根への車の運転からキャンバス張り、一政が好んで描いたひまわりの栽培など、
日々の創作に関わることから雑用まで、あらゆることを佐々木さんがこなしたそう。

「箱根まで車で40分くらいの道を私が運転しました。
最初は箱根のどこを描こうかと景色を探して走り回っていて、
やがて駒ヶ岳を見つけて、ここがいいと。
それから通い始めて15~16年描き続けました。
天気がよければいつも、朝ごはんを食べたら、よし行こうと。
有料道路の料金所の人にお菓子を持って行ったり、
お正月には一升瓶を持って行ったりしてね。
3年くらいしたら、料金所の人がもうお金はいいから、と顔パスになりましたよ(笑)」

一政の身の回りの世話をしていたという佐々木正俊さん。現在は美術館の指導員を務める。

真鶴と箱根では天気も微妙に異なるため、佐々木さんが料金所に電話をして、
駒ヶ岳が見えるかどうか聞いたこともあったという。
天気が悪くても、気分が乗っているときは出かけたそうだ。

「天気が悪い日に、近くまで行って車の中で雲が切れるのを待っていたら、
窓を開けろと言う。開けたら、駒ヶ岳に向かってふーっ、ふーっと
息を吹きかけているんです。何をしているんですかと聞いたら、
雲が動きやしないかと思って、と言うんですよ(笑)。
ふざけているのかと思ったら、本気なんです。
悔しくてしょうがなかったんでしょうね」と佐々木さん。

チャーミングな人柄が感じられる逸話だが、創作に対してはいつも真剣だったという。
「本当に絵のことばかり考えている人でした。そんな人はなかなかいませんよね。
特に風景を描きたかったんだと思います。いつも自然と対峙して描いていた。
大きいキャンバスで屋外で描くのは気持ちよかったのだろうと思います」

『駒ヶ岳』1980年(写真提供:中川一政美術館)

『薔薇』1983年(写真提供:中川一政美術館)

駒ヶ岳を15年にもわたり描いているが、薔薇も描き続けた題材のひとつ。
そのように同じ題材を何枚も何枚も描くのが、一政の特徴でもある。
「あるとき先生に、なぜ同じ場所で同じ景色を描くんですかと聞いたことがあるんです。
そうしたら、同じじゃない、と怒られました。毎日違うんだと。
先生から見ると、同じではないんですね。満足するまで描き続けるのだと思います」

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