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「美術館ロッジ」作戦2

ローカルアートレポート
vol.040

posted:2013.6.26   from:秋田県北秋田市  genre:アート・デザイン・建築

〈 この連載・企画は… 〉  各地で開催される展覧会やアートイベントから、
地域と結びついた作品や作家にスポットを当て、その活動をレポート。

writer's profile

Yumi Kuroda

黒田由美

くろだ・ゆみ●九州は大分市生まれ。雪は1年に1度降るか降らないかの温暖な気候の中で成長(台風での休校は経験)。早稲田大学第一文学部卒業、以降東京都在住。現在はIT企業勤務。「美術館ロッジ」では主にtwitter、facebookなどの情報発信を担当。

credit

撮影:坂本里英子、黒田由美

アーティスト鴻池朋子さんが中心となって、

秋田の山小屋に作品を設置するプロジェクト「美術館ロッジ」。

その全容を、プロジェクトスタッフの一員でもある

黒田由美さんのレポートで3回にわたりお届けします。

作品は山にあり、旅人は村をゆく。

山小屋にアート作品を設置する「美術館ロッジ」プロジェクト。
前回は、北秋田市の森吉山標高1275メートル付近で展開された
作品設置のための「山組」のリサーチ「作戦1」のレポートをお届けしましたが、
今回は同日(2012年12月18日)その森吉山のおひざ元、阿仁地区と
秋田内陸縦貫鉄道沿線で繰り広げられた「村組」のリサーチ「作戦2」を振り返ります。

「村組」メンバーは、VOLCANOISEの坂本里英子さんは
東京からのわかりやすい「旅人」ですが、
他のメンバーもほとんどが県庁所在地の秋田市から集まった「旅人」です。
同じ秋田県内ですが、この地域に足を運んだことがない人ばかり。

よく「帰るまでが遠足です」と言いますが、
「帰るまでがアートです」と私は言いたいです。
鴻池朋子さんの個展「インタートラベラー 神話と遊ぶ人」を見るために
鹿児島の霧島アートの森に行きましたが、鹿児島空港に着いたら
1時間に1本しかないバスは行ったばかり、仕方ないので旅館の人に電話すると
「タクシーで最寄りのJRの駅まで連れて行ってもらえ」と教えてもらい
偶然連れて行かれた駅が、実は100年の歴史を持つ有名な嘉例川駅(かれいがわえき)で
1日に2本しか通らない特急「はやとの風」を目撃し(ちなみに私は鉄子ではありません)
最初のがっかり感から一転、非常にトクした気持ちになったことや、
宿泊した栗野岳温泉の南洲館の裏にある
モウモウと蒸気が立つ地獄みたいな源泉の原っぱの光景と、たちこめるイオウの匂い、
夜鳴いている何者かの声(ヨダカだと聞いた気がします)、
そんなゴタゴタした一連の記憶の数々と、私の中に残された芸術の体験は渾然一体です。
「アース・ベイビー」は先だって展示された東京オペラシティで見るよりも、
火山の力をそのまま感じる鹿児島の大地の方がふさわしいなぁ、と
勝手に思ったりもしました。

あ、鹿児島ではなくて、秋田の話でした。

というわけで前置きが長くなりましたが、
「美術館ロッジ」に至るために避けては通れない阿仁のまちと
秋田内陸縦貫鉄道沿線地域を、「村組」はリサーチすることになりました。
森吉山山頂に決して負けない、雪が降りしきる中!
私も同行したかったのですが「作戦1」で山に登っていたので
生き霊を飛ばすわけにもいかず、「村組」サブリーダーの坂本里英子さんに
その日の模様を思い出してもらったものを再構成しようと思います。

角館と鷹巣を結ぶ秋田内陸縦貫鉄道。森吉山まではこの阿仁合駅からゴンドラへ。

「山の学校」藤原先生とのふたり旅。

「あきた山の學校」代表の藤原優太郎さんは、実は「山組」の隊長となる予定でした。
しかし、あろうことか、作戦実行の直前に足を骨折されてしまったのです。
いつも登っている標高1000メートル級の山ではなく、ご自宅の裏山で……。

「骨折!」
一瞬「美術館ロッジ」プロジェクトのスタッフの間に緊張が走りましたが、
そこはぬかりなく「山組」には藤原先生の愛弟子である
山岳ガイドの福士功治さんが送り込まれ、先生は「麓サポーター」として、
「村組」と行動を共にされることとなりました。
藤原先生は山に詳しいのはもちろんですが、
奥州街道と並ぶ東北二大街道として発展した羽州街道の著書などもあり、
秋田の歴史にも精通されています。
坂本さんが藤原先生に最初に案内されたのは「西根打刃物製作所」。
マタギ専用の刃物を作っていたところです。

Wikipediaによると——
マタギは、東北地方・北海道で古い方法を用いて集団で狩猟を行う者の集団。
一般にはクマ獲り猟師として知られるが獲物はクマだけではない。

「クマだけではない」と言っていますがクマは阿仁のキーワードです。
あらゆるところにクマが出没します。
まず、阿仁合駅の中に「こんな山奥になぜ!」というくらいおいしいランチが出る
「こぐま亭」があります。クマじゃなくてウマのカレーが出てきます。
そして除雪された道路を見ると、マンホールはクマの親子です。
こんなに可愛い母子グマですが、
子グマを連れた母グマほど危険なものはないと聞きます。

「おじいさんがマタギ」という秋田内陸縦貫鉄道の齊藤伸一さんによると
「クマがすんでるところにまちがあるからね」ということでした。そういうことか。

こぐま亭の馬肉カレー。某有名店で修行したシェフの一品。

かつて見たことがないほど可愛すぎるマンホール。

夏の写真ですが、熊がきます。

西根打刃物製作所の話に戻ると、店主で職人の西根 稔さんは
既に亡くなられており、奥様にいろいろお話を伺いました。
ナガサはマタギである人でなければ作ってはいけないと、
ご主人の西根さんは考えていらっしゃったそう。

そして「マタギ資料館」で、現役のマタギである鈴木英雄さんのお話を聞きました。
鈴木家は代々マタギで、英雄さんの祖父の「ヒマラヤ辰五郎」こと鈴木辰五郎さんは、
ヒマラヤの雪男探検隊に阿仁マタギのほかの4人と一緒に加わったこともあるという
マタギの中のマタギです。

当時(昭和49年)の秋田県の広報誌によると――
マタギ5人の“サムライ”たちは、足跡さえ発見できれば
マタギ猟法「ふぎりの作戦」(足跡をたどっていけば見失ってしまうので、
足跡を中心に先回りして包囲態勢をとる)で絶対に発見してみせると自信満々。
しかしこれには「マタギはみんな高山病になって帰って来た」という
後日談がついているそうです。
クマや雪男はこわくないけど、高い山には勝てなかったというお話。

マタギの語源には諸説あるそうですが、
「特殊な山言葉を使い、人間の恐れる(鬼のような)獣に向かっていくことから
『又鬼』という」というのが藤原先生から聞いた説。
確かに不思議な文字です。伝奇小説の題材になりそう。

この日はほかに、黒文字で「かんじき」を作るお宅を訪問して終了。
藤原先生との歴史探訪のかたわらで、坂本さんは
お会いした方々の顔をずっと見ているうちに、その土地とぐんぐんつながって
「新しい物語」が生まれていく感覚を覚えたそうです。

「叉鬼山刀(マタギナガサ)」は、足元の邪魔な下草などを刈りながら進むための道具だということ。

「あきた山の學校」代表でもある藤原先生。西根打刃物製作所の奥様から、思わぬ鎌のプレゼント。

特殊な山言葉を使っていたというマタギ。確かに、読めません。

人間が生活するまちとしての阿仁。

翌日の12月19日は、下山した「山組」と昨日リサーチを終えた「村組」とで
合同報告会を行いました。
阿仁はクマとマタギばかりのまちというわけでは決してなく、
明治時代までは鉱山で栄えた北秋田随一の人口を誇るまちだったとのこと。
「村組」メンバーの郷土史研究家の小松和彦さんによると、
大きな遊郭が4軒も隆盛を競っていたそうです。
前の晩は遊郭跡のすし屋さんに出かけて往時を偲んだとか。

ココラボラトリーの佐々木陽子さんは、阿仁の食についてリサーチ。
宿泊した駅前の宮越旅館の厨房に入って、「馬肉のぜんまい、ブナカヌカの煮込み」
「だまこ」「こはぜジャム」などの作り方を習いました。
また、給食センターでは「地産地消」のメニューを体験。
そのひとつ「伏影りんご」のジュースは私も道の駅で買いました。
寒暖の差が大きく味の良いりんごが獲れるとのことで、コクがあっておいしかったです。

デザイナーの後藤仁さんは、いまではほとんど残っていない活版印刷の印刷所へ、
そして「村組」リーダーで秋田市のギャラリー、
ココラボラトリーのオーナーでもある笹尾千草さんは、
まちの中でひっそりと美しいアートをつくり続ける女性たちを訪ねました。
秋田で手芸教室を主宰する東海林裕子さんは、「秋田女性チャレンジ」で起業した、
阿仁合駅前のアンテナショップ「ひまわり」を経営する清水テイ子さんを訪問。
いずれもエネルギーにあふれる方たちばかりで、
現在を生きているまちの方々と、貴重な交流を果たすことができました。

「村組」報告会の様子。マタギとクマの話のほかに、鉱山町だった阿仁の歴史や、郷土料理など、紹介しきれなかった報告が盛りだくさんでした。

「村組」のデザイナーの後藤さんが発掘してきた品。

再びクマと野生について。

一方、報告会が行われている最中にも、クマにとり憑かれた(?)坂本さんは、
クマの獣医でもあり北秋田市の職員でもある小松武志さんを単独で訪問。

小松さんはクマと人間との境界について考え中とのこと。
クマと人間との関係は、東京にいても
「山菜採りで山に入った人がクマに襲われる」とか
「市街地にクマの親子が出没」など
ニュースを聞いていれば危機的状況にあることがよくわかります。
でも「クマがすんでいるところにまちがある」というこの阿仁地区に実際に行ってみると、
なんだかそんな「棲み分け方」で片づけられる単純な話ではない気がしてきました。

私たちが話を伺った人たちが偏っているのかもしれませんが、
「おじいさんがマタギ」だとか
「鈴木という普通の名前の人がマタギには多すぎる」とか
「全員がマタギ一族なんじゃないか」と思うくらい、
このまちには「マタギの気配」があふれている気がしました。
というか、クマ博士の小松さんだってこのまちの出身ではないし、
出身の問題ではないのかもしれません。

坂本さんが小松さんのフィールドワークの話の中でいちばん気になった言葉。

「クマの足跡を追っていくと、自分がクマになったような気がする」

これは、神話や童話の世界ではよく語られている話と同じかもしれません。
先史時代の人間は、クマも人間も平等で、
お互いが行き来できる存在だと考えていたと言われています。
クマが人間になり、人間がクマになることが人間の心の中では常に起こっていた。
そういった動物も植物も鉱物も水も風も、森羅万象が
ひとつの全体性として認識されている世界が確かにあったように思います。

私自身は「自分がクマになったような」体験をしたことはありませんが、
坂本さんはこんなことを話してくれました。
「『東北を開く神話』展の会場前に設置した『リングワンデルング』(雪の中の迷路)で
鴻池さんのあとを追っていったら、自分がクマになった気持ちがした」

キツネやタヌキに化かされる場合もあります。

リングワンデルングを歩く鴻池さん。小道を歩いているうちに獣になっている可能性大です。

ということは、鴻池さんはクマなのか。
その時間帯はもしかしたら、人間と獣の間にいたのか。
少なくとも坂本さんはそう感じたわけです。
秋田市街のど真ん中でありながら、人工的に作られた雪山の迷路の装置の中で。
私が前回のレポートの最後で
「翌朝さらにひどくなったブリザードの中を、
再び5人(と1匹。いえ、鴻池さん)とともに道のない森吉山を降りて行きました」
と結んだのは、なんとなくそう書いたほうが自分の気持ちにふさわしかったからです。
あの山小屋という異質な環境で、鴻池さんは半分獣になっていたのかも。
そしてほかの5人のスタッフも、3分の1くらい獣になっていたのかもしれません。

山小屋は「野生と人間との『境』にあって時空間の媒介役をしており、
そこが私の作品設置場所となった」と、鴻池さんは
最近制作されたばかりのパブリックアートの作品集の序文で書いています。
クマを「野生」と置き換えると、何かのきっかけで、
野生と人間は行き来できるのかもしれません。

私たちの中に眠っている「クマ」的なもの、「マタギ」的なもの、
それは阿仁の人たちだけに受け継がれているのではなく、
旅人である私たちの中にも確かに存在するものであり、
それがたとえば「阿仁」なり「山小屋」なり「作品」なり、
その圏内に入ることでスイッチが入るのかもしれない、
と私は坂本さんの話を聞きながらぼんやりと考えたのでした。

(つづく)

information

map

Lodge the Art Museum on Mt. Moriyoshi
美術館ロッジプロジェクト

所在地:森吉山 森吉神社避難小屋(秋田県北秋田市森吉山1)標高1275m地点
◎アクセス
森吉山阿仁ゴンドラ山麓駅までは、東北新幹線角館駅から秋田内陸縦貫鉄道 阿仁合駅下車、車で約20分。または大館能代空港から車で約60分。山麓駅からはゴンドラ乗車20分、山頂駅より登山道徒歩約40分。ゴンドラ休止期間は登山道のみ。http://www.aniski.jp/

協力:山組村組の皆さん、阿仁スキー場、山の学校、有限会社ベックシステム、秋田内陸縦貫鉄道、HINOCO Studio、VOLCANOISE、新秋田県立美術館
http://www.facebook.com/LodgeTheArtMuseum

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