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滋賀県長浜市・米原市(湖北地域)

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5 konefa samuraiに共鳴するクリエイター。 MOTOKO

農村の素晴らしさを、写真を通して、
さらには実際に行動して伝える。

賀に魅せられた写真家MOTOKOさん。 大阪出身で現在は東京で活動する彼女が、 滋賀県に興味を持った理由は単純明快。
「新幹線から見える滋賀の景色がとても美しかった」からだそうだ。
一方で、仕事で地方に撮影に出かけると、 “シャッター通り”をはじめ、地方の衰退を目の当たりにすることになる。

だから「このきれいな風景を今残しておかないと、 あと何年もつかわからない」と、 滋賀の風景をフィルムに残すことにした。
それが『田園ドリーム』という作品制作である。

最初は風景、そして祭りを見ていた。
そのうちにハレの日ばかりではなくケの日、
つまり普通の農家の日常を撮りたいと感じ、若い農家を探す。
そこで出会ったのが高島市の石津大輔さん、
そして長浜市に住む米農家、konefaの家倉さんだ。

「滋賀の農家の人と話していると、
共同体のなかで、黙々と仕事はしているけど、
生き生きとしているようには感じられなかった。
実際、みんな寂しかったのだと思います。
そういう意味では都市も農村も変わらない。
ワンルームにひとりで住んでいるか、
広大な農地にひとりで働いているかだけの違い。
ただし、渋谷にはたくさんいる若い人のことを何とも思わないけど、
農村では数が限られていてとても貴重。
若い人が地元でちゃんと残ってがんばっていることは、
素晴らしいことだと思ったんです」

実際に、彼らは素晴らしいものをつくっていた。
嘘がなく丁寧に仕事をしている。
だけど、今や農家は自らの手で商品を売っていかなければならない時代。 それなのにコミュニケーションが不器用だった。
「こんな人のお米だったら、何か手伝ってあげたいな」と思った。
と言っても彼女が直接販売を手伝ってもしょうがない。
メディア作戦のはじまりだ。

農家と話をしていくうちに思ったことがあるという。
「都会は地方や農村の生産した食料の上に成り立っているのに、
その農村が疲弊しているんです。
人手不足の地方自治体に都市が支えられているのは、単純に危ない」
だから今、農家の現状を知らせるべきは都市であり、
また逆に都市の現状を農家も知るべきであった。
そして大阪のgrafと組んでイベントを開催することになる。
konefa samuraiの誕生だ。
それ以降、konefa samuraiのさまざまな活動をときに牽引し、
ときに後押ししていく。

MOTOKOさんの熱い思いに感化されて、
彼らも次第に自信と自覚を持ち始めた。
「彼らの仕事がどれだけ素晴らしいことか。
“都会の若い人もこんなにお米が好きで興味を持っているんだ”ということに 気がついてもらおうと思ったんです。
農村が変わるってことは、若い人が元気ってこと」
それにしても、MOTOKOさんは写真家。
「地域活性プロデューサー」なんて肩書きでもない。
この作品制作を始めるまで、農家の現実なんて知らなかったという。
なのに、なぜ?

「最近の写真業界は、どちらかというと
自分の内側を見つめる内省的な作品が多かったんです。
昔は、ユージン・スミスが水俣病を撮ったり、
『Life』のような雑誌があって、
フォトジャーナリズムというものがあったんですけど、今は難しい。
私の写真を観て、何かを考えていただけるきっかけになればいいけど、
そのためには、自分も一緒に行動してみないといけないかなと。
それで実際、農村に行ったら、
“ほんまにギリギリやなー”と危機感を感じてしまった。
みんなわかっているのに、見て見ぬふりしてしまいます。
でも私は一度見てしまった以上、通り過ぎることはできませんでした」

こうして2008年から数えて合計200〜300回、
滋賀詣ではライフワークとなる。
先日開催された写真展「田園ドリーム」でも、
滋賀の祭りなどと一緒に、
konefa samuraiメンバーによる農作業の日常が写し出されている。
オープニングパーティでは、konefa米によるおにぎりと、
konefaの酒米でつくられた冨田酒造の日本酒「七本鎗」が振る舞われ、 来場者に好評だった。

MOTOKOさんが点火したことで
konefa samuraiは活動を広げることができ、 農家の現状を知ってもらい、マイナスイメージを払拭すべく活動している。
ただあくまで、彼女は裏方に過ぎないという。
「私がやっているのは彼らの穴埋め作業ではなく、
“ここにも穴が空いているよ”と気がついてもらうこと。
案外、当事者は気がつかないものですからね。
結局、穴を埋めなければならないのは彼ら自身です」
そんな穴埋め作業。 ここ数年konefa samuraiを見続けてきて、埋まってきているのだろうか。

「細かい穴がどうかまではわかりませんが、
ただひとつ、私が彼らの写真を撮り続けていて、
被写体としてどんどんかっこよくなっているということは、
うまくいっているのではないでしょうか。
立ったときに堂々としている。
私が彼らを撮る目線は、男性芸能人を撮るときの目線と
すでに変わりませんよ、もう互角です(笑)」

数々の芸能人を撮っているMOTOKOさんをして互角とは、
konefa samuraiのかっこよさも堂に入っている。
表情や立ち振る舞いに自信がみなぎってきたときが、
農業のイメージが変わるときだ。

「われわれにとってkonefaの成功が目的ではありません。
また誰が偉いというのでもありません。
彼らがきっかけとなって、
みんながそれぞれの分野で手をつないで、
ひとつの大きな輪をつくりたい。
輪が和になることで平和になる。
地域活性はまず仲良くなることから。相手を思うことから。
そんな簡単なことができなくなってしまったことが、
今のこの世の中を生み出したと思っています。
そういう意味でも“農業”は、
土に触れることで人がつながる最高の手段ではないでしょうか」
konefa samuraiが田園で夢を叶える日は近いかもしれない。